この愛称で呼ばれる元プロ野球選手については「クレイグ・ブラゼル」をご覧ください。
ブラッズチーム内のサイン
設立1972年
設立場所 アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス
活動期間1972年?
活動範囲 アメリカ合衆国
カナダ
ベリーズ
フィリピン
構成民族黒人が大多数
構成員数
(推定)9千人
主な活動麻薬密売、強盗、恐喝及び強要、殺人
友好組織ブラック・P・ストーンズ、ヴァイス・ローズ
敵対組織クリップス、 エイティーンス・ストリート・ギャング
ブラッズ(英文表記:Bloods)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスに拠点を置くストリートギャング。
シンボルカラーは赤色を基調とし、五芒星をシンボルに使用する事もある。セットと呼ばれる二次団体的グループの名前は基本的にBで始まる。「ブラッズ」の由来は若い黒人ギャングを指す「ヤングブラッド」から来た説と、ベトナム戦争の黒人帰還兵がお互いに「ブラッズ」(兄弟・ブラザーがなまったもの)と呼びあった事から来た説がある。クリップスと共に「2大黒人ギャング」、「2大ストリートギャング」などと言われている。
クリップスがバンダナをズボンの左側に垂らすのに対し、ブラッズはズボンの右側に垂らす。また、クリップスはブラッズの頭文字であるBの存在を、ブラッズはクリップスの頭文字であるCの存在をそれぞれ認めていない。ブラッズメンバーはクリップスに対する蔑称としてCrabという言葉を用いる事がある。これはクリップス同士の苛烈な内紛を蟹の共食いに例えたものである。 1969年にクリップスが結成され、彼らは数々の暴力事件を起こしながら急速に勢力を拡大していった。これに反発したコンプトンのパイルズ
歴史
ブラッズは各地でクリップスと激しい抗争を重ねた[1]。その後、彼らはロサンゼルス外に勢力を拡張、1970年代後半にはサンディエゴ、フレズノといったカリフォルニア各地にセットを開設。更に1980年代半ばになるとクラックブームに乗ってワシントン州、オレゴン州、アリゾナ州、ネバダ州、テキサス州などにも拡大していった。特にアリゾナのセットは千名を超える大勢力であったという。
70年代、80年代まで、ブラッズやクリップスは、アメリカ以外では知られていなかったが、80年代後半にNWAのアルバムが全米で大ヒットとなった[2]ことで、LAギャングにも注目が集まった。1980年代後半には国境を越えてカナダのバンクーバーへと進出、更にはローリン・20's・ネイバーフッド・ブラッズやシカゴで設立されたベリージアン・ブラッズといったベリーズ系メンバーの多いセットからの強制送還者を中心にベリーズにも進出し、わずか人口6万人のベリーズ・シティーに6百名以上のメンバー数を持っている。また、軍内のメンバーを通じてグアムにもセットが設立されている。
93年にはブラッズ&クリップス名義で、「バンギン・オン・ワックス」のアルバムが発表された[3]。