ブラック・マスク
Black Mask
ジャンルハードボイルド
発売国 アメリカ合衆国
言語英語
出版社Popular Publications
ブラック・マスク(Black Mask (magazine))は、ジャーナリストのH・L・メンケン(英語版)と演劇批評家のジョージ・ジーン・ネイサン(英語版)がメンケンの編集していた一流文学誌 The Smart Set の赤字財政を助けるために1920年に創刊した大衆向け雑誌(パルプマガジン)である。元々は犯罪小説専門誌ではなく、冒険小説、推理小説、恋愛小説、怪奇小説などを掲載範囲としていた。最初の編集者は Florence Osborne(誌上では F. M. Osborne と記されている)[1]。 8号まで刊行後、メンケンとネイサンは500ドルの投資で十分な利益を得たと判断し、同誌を Eltinge Warner と Eugene Crow という出版者に1万2500ドルで売却した。以降の編集者は George W. Sutton (1922?24) で、さらに Philip C. Cody が受け継いだ[2]。1926年、Joseph Shaw 初期のブラック・マスクに寄稿していた作家としては、J・S・フレッチャー
編集権の変遷
寄稿していた作家
その後、ダシール・ハメットが寄稿するようになり、サム・スペードとコンチネンタル・オプという探偵を生み出した。これに影響され、レイモンド・チャンドラー、E・S・ガードナー、ポール・ケイン、フレデリック・ニーベル、フレデリック・デーヴィス、ラウール・ホイットフィールド(英語版)[3]、シオドア・ティンズリー(英語版)、W・T・バラード、ロジャー・トリーらがハードボイルド作家として寄稿するようになった[4]。また同誌に掲載されたジョージ・ハーモン・コックス(英語版)の「報道写真家フラッシュ・ケイシー(英語版)」を主人公とした小説は、映画、ラジオドラマ、マンガ、テレビドラマ、演劇に展開された[5]。
ブラック・マスク誌の表紙イラストは Fred Craft や J. W. Schlaikjer が描いていたが[6]、Shaw は中のイラストを全て Arthur Rodman Bowker に任せた[7]。
作家の多くは男性だったが、女流作家も何人かいた。例えば、Marjory Stoneman Douglas、Katherine Brocklebank、Sally Dixon Wright、Florence M. Pettee、Marion O'Hearn、Kay Krausse、Frances Beck、Tiah Devitt、Dorothy Dunn らである[8]。
この雑誌は大いに成功し、寄稿していたヒュー・B・ケイヴといった作家は商業的にも大いに成功を収めた。
ブラック・マスクは犯罪小説が中心だったが、西部劇小説や冒険小説も掲載されていた[1]。 1930年代初期に発行部数がピークに達したが、ラジオ、映画、競合するパルプマガジンなどが台頭してきたため、徐々に衰退が始まった。1936年、経営者から原稿料の減額を求められた Shaw は編集長を辞め、同時に主な作家たちも同誌を離れた。後任の Fanny Ellsworth (1936?40) は新人作家を登用するようにし、コーネル・ウールリッチ、フランク・グルーバー
休刊と再創刊
しかし1940年代には明らかに部数が減っていった。新編集長 Kenneth S. White (1940?48) は、あらたにジョン・D・マクドナルドを発掘するなどしてがんばった[1]。その後 Henry Steeger が名前を隠して編集長を務めたが、1951年に休刊となった[2]。
1985年、The New Black Mask として再創刊。ジェイムズ・エルロイ、マイクル・コリンズ、サラ・パレツキー、ビル・プロンジーニといった作家が寄稿し、ハメットやチャンドラーの古い小説も掲載した。Encyclopedia Mysteriosa によれば、作家エドワード・D・ホックは「偉大な古いパルプ・マガジンの興奮とストーリーテリングの喜びに近いものを復活させた」としてこの再創刊を歓迎した。しかし Black Mask という名称の権利問題から1987年に廃刊。その後誌名を A Matter of Crime と変えて短期間だけ発行されていた[10]。
ブラック・マスク誌はコレクターの間で高値で取引されており、特にハメットやチャンドラーの作品が掲載されている号は高値となっている[1]。
ポップカルチャーにおける言及