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ブラックマン
プロフィール
リングネームブラックマン
スパイダーマン
ラ・ガセラ
セレスティアル
本名アルバロ・メレンデス
ニックネーム黒忍者
身長168cm
体重86kg(全盛時)
誕生日 (1949-02-19) 1949年2月19日
死亡日 (2022-02-20) 2022年2月20日(73歳没)
出身地 メキシコ
ハリスコ州グアダラハラ
トレーナーディアブロ・ベラスコ
デビュー1965年
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ブラックマン(Blackman、本名:Alvaro Melendez Tibanez、1949年2月19日 - 2022年2月20日)は、メキシコ・ハリスコ州グアダラハラ出身のプロレスラー。コーナーポストへの倒立など変幻自在な動きをトレードマークに、テクニコの覆面レスラーとして活躍した。目次 ディアブロ・ベラスコのジムでルチャを習得し、1965年(1969年説もあり[1])にラ・ガセラ(La Gacela)のリングネームでデビュー[2]。1977年より日本の忍者をモチーフとした黒覆面のブラックマン(Blackman)に変身し[2]、1978年9月10日にはエル・マテマティコからUWA世界ライト級王座を奪取、1981年9月30日にブラック・テリーに敗れるまで3年間に渡ってタイトルを保持した[3]。 1982年3月、新日本プロレスに初来日。小柄・軽量ながらも初代タイガーマスクと好勝負を展開した[4]。佐山聡本人も、2008年にポニーキャニオンより発売されたDVD-BOX『初代タイガーマスク大全集』において、ブラックマンの試合巧者ぶりを高く評価している[4]。1984年からはカンフー・ギミックのクン・フー&カト・クン・リーとのオリエンタル系ユニット、ロス・ファンタスティコス(Los Fantasticos)を結成して人気を博すが、佐山もメキシコ修行時代、この両者とトリオを組んでいた[4]。 1986年2月9日には、ブルー・パンテルを破ってUWA世界ウェルター級王座を獲得[5]。2階級制覇を果たしたものの、翌週2月16日にパンテルとのマスカラ・コントラ・マスカラに敗退[2]。以降メキシコでは素顔でファイトした後、1991年4月、UWA(LLI)にて青を基調にしたデザインの新しい覆面レスラー、セレスティアル(Celestial)に変身した[6]。 1990年代はユニバーサル・プロレスリングやみちのくプロレスに度々来日しており、ユニバーサルでは1993年3月13日の後楽園ホール大会にて、ブラックマンとしてスペル・デルフィンとマスカラ・コントラ・マスカラを行うも再び敗退、日本でも覆面を脱いでいる[2]。みちのくでは1995年11月、彼の影響下にある中島半蔵とのコーナーポスト倒立合戦も見られた。中島とはタッグも組んでいる。 キャリア晩年は、闘龍門のコーチとなって日本人ルチャドールを指導した[4]。引退後はヌエボ・レオン州のモンテレイにてジムとレストランを運営[2]。 2022年2月20日、73歳で死去。死因は不明[7]。
1 来歴
2 得意技
3 獲得タイトル
4 脚注
5 外部リンク
来歴
得意技
トペ・コンヒーロ
サルト・モルタル
獲得タイトル
UWA世界ライト級王座:1回[3]
UWA世界ウェルター級王座:2回[5]
UWA世界6人タッグ王座:1回(w / クン・フー&カト・クン・リー)[8]
脚注^ 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P55(2002年、日本スポーツ出版社)
^ a b c d e “ ⇒Black Man”. Luchawiki. 2011年1月10日閲覧。
^ a b “ ⇒UWA World Lightweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年1月10日閲覧。
^ a b c d 『Gスピリッツ Vol.15』P48(2010年、辰巳出版)ISBN 477780772X
^ a b “ ⇒UWA World Welterweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年1月10日閲覧。