ブラジルの宇宙開発
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VSB-30の組み立て工程

ブラジルの宇宙開発ではブラジル宇宙開発について説明する。

ブラジルの宇宙開発計画は1950年代からはじめられた。現在のブラジル宇宙機関科学技術省国立宇宙研究所(INPE)を元としている。この当時は軍の強い影響下であったため、アメリカ弾道ミサイル不拡散、核不拡散の観点からの技術提供を拒否しており、これが開発を妨げていた。1994年には宇宙計画は軍の配属下から離れ、ブラジル宇宙機構が設置された。
歴史
前史

ブラジルの宇宙開発は国防軍空軍航空宇宙技術総司令部(Comando-Geral de Tecnologia Aerospacial、CTA)がはじめている。1994年のブラジル宇宙機関の設置まで軍はCTAを通して多くの宇宙計画を監督していた。CTAは1953年に設けられ、当初空軍を宇宙開発のための研究、開発に加えた。1964年にはソンダロケットの開発が始まった。1965年に、空軍は宇宙事業本部(Instituto de Atividades Espaciais、IAE)を設立し、ロケットの開発を担当するようになった。これらには空軍の関与する航空技術大学校(Instituto Tecnologico de Aeronautica、ITA)も深く関わっている。

一方、民生分野では科学技術省の下に国家宇宙事業委員会(Comissao Nacional de Atividades Espaciais、CNAE)が設置されていた。1971年に軍と民生の委員が加わり、ブラジル宇宙事業委員会(Comissao Brasileira de Atividades Espaciais、Cobae)が設立され、国家安全保障会議(CSN)の下に置かれることになった。Cobaeの長官には国軍参謀本部(Estado-Maior das Forcas Armadas、EMFA)の長官が就くことになり、ブラジル総合宇宙計画(Missao Espacial Completa Brasileira、MECB)の策定取り組むことになった。また、CNAEは1971年にブラジル国立宇宙研究所(Instituto Nacional de Pesquisas Espaciais、INPE)に再編され、衛星を開発し、宇宙と気象学の研究を担当することになった[1]。以降、ブラジルでは大まかに宇宙開発のうち射場ロケットを軍が、人工衛星や科学技術研究を民生が行うようになった。

MECBは1981年の策定以降ロケット、打ち上げ場、衛星の製造などを調整した。
MECB策定以降

ロケットの開発ではソンダロケットに改良が加えられていった。開発されたロケットはバライラ・ド・インフェルノ射場から打ち上げられた。軍はこの後も着々と観測ロケットの改良を進め、ソンダロケットはII、IIIと改良が加えられていき、改良ごとに高度を上げていった。ソンダIVロケットは1989年4月28日に試験成功を収めた。

1980年代には大統領であったジョゼ・サルネイの地元であるマラニョン州のアルカンタラにアルカンタラ射場(Centro de Lancamento de Alcantara、CLA)が作られ、ここから打ち上げが行われるようになった。アルカンタラ射場は1990年2月21日から使用が始まった。開発には4億7千万米ドルが使われたとされている。この射場は世界で最も赤道に近く、赤道からわずか2.3度南でしかない。この特徴は静止衛星の打ち上げにとって非常に恵まれている。例えば、赤道から近いという特徴によってケネディ宇宙センターと比較して25%の燃料を節約することを可能にしている。

一方民生分野ではまず通信衛星システムの構築を目指した。フランスアリアンスペース社によって、最初のブラジルサット衛星2機が1985年2月と1986年3月に打ち上げられた。一連の静止軌道衛星はブラジル衛星通信システム(Sistema Brasileiro de Comunicacao por Satelites、SBTS)を担当したエンブラテルが所有し、管理することになった。

1988年7月6日に、INPEは中国国家航天局との宇宙開発協力の合意に調印した。これは中国・ブラジル地球資源衛星(Satelite Sino-Brasileiro de Recursos Terrestres、CBERS)計画として知られており、山西省太原衛星発射センターから長征ロケットによって2つの地球観測衛星の打ち上げを行うという内容であった。ブラジルは高い解像度のCBERSのデータを地球の全体図を収集し、農業地質学水文学環境などの分野に利用する予定であった。しかし、この合意はブラジル側の資金不足から1988年から1991年にかけて名目上のものであった。1991年10月と1994年11月にはブラジルと中国は1億5千万米ドルでの衛星の建造で追加的合意に達した。CBERS-1が実際に打ち上げられるのは1997年5月のことである。

1993年2月9日には、最初の完全国産衛星が打ち上げられた。これはデータ収集衛星(Satelite de Coleta de Dados、SCD-1)として知られている。SCD-1は時にグリーン衛星として言及される。SCD-1はINPEが利用した。2号機となるSCD-2は1998年10月22日に打ち上げられた。いずれもアメリカのペガサスロケットで打ち上げられている[1]。SCD-1、SCD-2共に環境に関する情報をデータとして収集した。

軍がロケットと射場、民間が衛星と科学研究いう区分けにもかかわらず、MECBにおいては最低でも1993年まで軍が主役であった。MECBに関するポストの多くを将校が占めていた。1988年からはINPEは液体燃料ロケットの開発に取り組んだが、非常に難航した。INPEは1993年にVS-40を実験している。
ブラジル宇宙機関

MECBをより確実に民間に移行するために1994年2月10日、ブラジル大統領イターマル・フランコはブラジル宇宙機関(Agencia Espacial Brasileira、AEB)の設置に合意した。これによって宇宙開発は国防省から科学技術省主導に転換され、単なる諮問機関となり、委員のいなかったCobaeに変えてAEBが設置された。半分自治の政府機構であるAEBは、独自の職員を保有し、政策の実行に責任を負っている。AEBは大統領直属の民生分野の人材に率いられることになっている。

また、AEBはアメリカ政府からの批判をそらすために創設された。アメリカはブラジルの宇宙開発の中でCTAとINPEに金融的、技術的支援に始まり中心的な役割を果たしていた。1966年、アメリカは観測ロケットを提供しており、これはブラジルによって打ち上げられている。これらの技術を元に、ブラジルは大型のロケットを開発していた。しかし、アメリカ政府はMECBにブラジル軍を巻き込んだ状態に警告を示しており、これを避けるためにもAEBが設立されたのである。

AEBはブラジル総合宇宙計画を監督しているが、射場と打ち上げ機器に関してはいまだにブラジル空軍が担当しており、INPEも現存しており衛星の直接開発を続けている。このため、AEBが様々な省に展開しているMECB関連の開発機構を組み合わせ効果的に監督できるかどうかは不透明なままである。

ブラジル宇宙機関は現在までの観測ロケット開発を基礎として、現在までにVS-30VSB-30などの観測ロケットを開発している。さらに現在、全段固体の衛星打ち上げロケット(Veiculo Lancador de Satelites、VLS)の開発を行っている。その一世代目となるVLS-1は試験機が生産される段階まで進んだが、2機連続で失敗し、2003年には3機目の打ち上げ準備中にブラジルロケット爆発事故が起こり、これによってロケット開発が中止された。VLSの開発停止後は観測ロケットを打ち上げており、また、海外からの技術の導入も行われている[2]2010年になりようやく開発が再開し、2014年に初の人工衛星打ち上げを予定していたが[3]、実現していない。

2015年11月13日に小型観測ロケットVS-40M V03がアルカンタラ射場から発射直後に爆発した[4]。けが人はいなかった模様。
対外関係

ブラジルとアメリカのつながりは一般的に二つの政府の方針に沿って行われていた。アメリカ航空宇宙局(NASA)はINPEと共に行動し、データを共有し、開発と化学実験の援助を履行しており、協会の技術者や科学者を養成していた。同様に、米空軍は空軍省で援助を行い、CTAといくつものデータ交換合意に達しており、これらは天気予報なども含まれていた。

しかし、ブラジルはアメリカの宇宙技術に深く頼ることをやめるようになった。1981年には独自で宇宙技術を得る為に、10億米ドルを費やすMECBの野心的計画の存在を明らかにした。この時期、ブラジルは気象観測衛星2種と地球観測衛星2種の合計4種のブラジル産衛星をアルカンタラから打ち上げることに傾倒していた。

1980年代のブラジルは徐々にアメリカからの依存から遠ざかり、固体燃料酸化剤である過塩素酸アンモニウム生産の自給自足に歩を進めた。また、加えて固有技術の研究と開発を進めた。1980年代中期から1990年代初期にかけて、多くのアメリカの当局はブラジルの衛星打ち上げ技術が弾道ミサイル計画に転向する可能性から、MECBを憂慮した。


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