ブラジルのサッカーでは、ブラジルにおけるサッカー競技について記述する。 サッカーはブラジルでは最も人気の高いスポーツであり、男女分け隔てなく盛んに行われている。さらには国民的なアイデンティティーでもあり、他にもフットサルやビーチサッカー、ブラインドサッカーも盛んである。 ブラジルサッカー連盟によって統括されている男子ブラジル代表チームは、FIFAワールドカップで1958年、1962年、1970年、1994年、2002年と世界最多の計5回優勝している[1]。ブラジルはドイツとともに、予選に参加したすべてのワールドカップで本戦に出場している数少ないチームの一つである。また、ブラジルはこれまでに開催されたワールドカップ全大会に参加した唯一のチームでもある。1970年にブラジルが3回目のワールドカップを獲得した後、ジュール・リメ・トロフィーの永久保持を許された。ブラジルはまた、リオデジャネイロで開催された2016年夏季オリンピックで金メダルを獲得している[2]。 サッカー史上最高の選手の一人であるペレは、ワールドカップに4度出場し3度の優勝に導いた。ペレの他、ガリンシャ、ジーコ、ロマーリオ、リバウド、ロナウド、ロナウジーニョ、カカ、ネイマールなど、代表チームの主力選手はスーパースターと見なされ、国際的にも名声を得て、高額なスポーツ契約を結んだり広告塔としても活躍している。 ブラジルにサッカーが伝えられたのは南米ではアルゼンチン・ウルグアイの次だった。ポルトガル領であったが1822年に独立。ブラジルにサッカーをもたらしたのは英国人ブラジル人のチャールズ・ウイリアム・ミラーである。ミラーはスコットランド系英国人の息子としてサンパウロで生まれイングランド南部のササンプトンに留学した。ササンプトンではとりわけ夢中になったのはサッカーだった。ミラー1894年にブラジルに帰国した際、サッカーのルールブックとボール、シューズユニフォームなど用具一式を持ち帰った。そして「サンパウロ・アスレチック・クラブ」を創設。サッカーの普及に努めた。 ブラジルサッカーに大きな2つの変化を契機として、飛躍的なレベルアップを遂げる。最初の変化は、白人と黒人の混血の選手や黒人選手がプレーするようになったことである。黒人との混血の選手で始めてサッカークラブでプレーしたのはアルトゥール・フリーデンライヒであった。フリーデンライヒは、ブラジル代表のメンバーにも選ばれた[3]。 黒人選手で最初にスター選手となったのがレオニダス・ダ・シルバである。アクロバティックなプレーが得意で当時のブラジルの最高の人気選手となった[3]。さらに大きな変化は、サッカーの収入だけで生活するフルタイムのプロ選手が登場しプロリーグがはじまったことである。ブラジル各地でサッカークラブが設立され、それぞれの州でリーグ戦が行われるようになった[3]。
特徴
歴史
年譜
1920年 - ブラジル全土のうち15州でリーグ戦が行われていた[3]。
1958年 - 1958 FIFAワールドカップで大会初優勝。世界最高の左サイドバックと言われたニウトン・サントス、中盤に「フォーリャ・セッカ」のジジ、前線に当時まだ17歳でその後「サッカーの王様」となるペレ、世界最高のドリブラーのガリンシャ左MFのザガロたの名手が揃っていた[3]。
1962年 - 1962 FIFAワールドカップでも優勝し大会連覇達成。ペレとガリンシャがさらに成長しており、ジジ、ザガロ、ジャウマ・サントス、ニウトン・サントスら前大会の主力メンバーもそっくり残っていた。ペレの代役として出場したアマリウドも活躍。
1965年 - サントスFCが5連覇。
1970年 - 1970 FIFAワールドカップで3度目の優勝。シュメール・リメ杯を永久保持。29歳となって世界最高の選手に成長していたペレ、右サイドを疾風のように駆け抜ける右ウイングのジャイルジーニョ、左足の芸術家リベリーノ、テクニックのトスタン、左足の強烈なシュートの持ち主ジェルソンなどのスターを揃えていた[3]。
1971年 - トスタンが南米年間最優秀選手賞を受賞。
1973年 - ペレが南米年間最優秀選手賞を受賞。