ブラキストン線(ブラキストンせん、英: Blakiston Line)とは、津軽海峡を通る(哺乳類、鳥類の[1])動物相の分布境界線である。津軽海峡線(つがるかいきょうせん)ともいう[2]。渡瀬線とともに日本における特に重要な分布境界線とされ[3]、日本において最もよく知られている分布境界線のひとつ[4]。
イギリスの動物学者のトーマス・ブラキストンが境界線の存在を提唱し、地震学者ジョン・ミルンの提案でブラキストン線と呼ばれるようになった[4][5]。動物相はブラキストン線を境に北のシベリア亜区と南の満州亜区に分かれる。ブラキストン線は、ツキノワグマ、ニホンザル、ニホンリスなどの北限、ヒグマ、ナキウサギ、エゾシマリスなどの南限となっている。[6][7][8]
植物、爬虫類、両生類、および蝶については違う分布境界線が指摘されている[9]。植物相は渡島半島の付け根や黒松内低地帯で区分されている[6]。両生類と爬虫類については八田三郎が1910年に宗谷海峡に境界線があると指摘し、八田線と呼ばれている[9](しかし、コモチカナヘビやカラフトサンショウウオといったサハリンと共通の種類が分布しているケースもある[10])。 幕末から明治期にかけて日本に滞在したイギリスの軍人・動物学者のトーマス・ブラキストンによって提案された[11]。彼は日本の野鳥を研究し、そこから津軽海峡に動物分布の境界線があるとみてこれを提唱した[11]。1883年に本州と北海道の動物に違いがあることをアジア協会報に発表し、ブラキストンの知人でもある地震学者ジョン・ミルンの提案でブラキストン線と呼ばれるようになった[5]。 この線を北限とする種はツキノワグマ、ニホンザル、ムササビ、ニホンリス、ニホンカモシカ、ニホンモモンガ、ライチョウ、ヤマドリ、アオゲラなどがある。逆にこの線を南限とするのがヒグマ、エゾモモンガ、エゾヤチネズミ、エゾリス、エゾシマリス、ミユビゲラ、ヤマゲラ、シマフクロウ、ギンザンマシコ、クロテン、ナキウサギなどである[7][8]。また、タヌキ、アカギツネ、ニホンジカ、フクロウ、エナガはこの線の南北でそれぞれ固有の亜種となっている。エゾシカとホンシュウジカは形態的に差異があり別亜種とされているが、近年は遺伝子的には区別できないとする研究もある[12]。 更新世(約258万年前から約1万年前)に津軽海峡を越えて移住した哺乳類はわずかな例外を除いて少ないと考えられている[13]。津軽海峡を挟んだ動物相の違いは、最終氷期(約7万年前から約1万年前)に北海道は樺太、千島列島を通じてユーラシア大陸と陸地で繋がっていたことに対して、本州は朝鮮半島を通じて大陸と繋がっていたことと、環境要因によるものだと考えられている[4][14][15]。 約10万年?15万年前から津軽海峡が成立していたとの説もあるが[4]、最終氷期において津軽海峡が陸続きであったかについては諸説ある[16][17][15]。約14万年前の海水準低下期に、本州からはナウマンゾウとヤベオオツノジカが北海道へ、北海道からはヘラジカやヒグマなどが本州へ移動していた可能性が指摘されている[13][18]。 完新世(約1万年前から現在)までには大陸との陸橋もなくなり、北海道の哺乳類相ができあがったと推測される[4]。最深部が449 mと深く、現在の最短距離が19.5 kmあり、潮流も強いという津軽海峡の性質が動物の行き来を妨げていると考えられている[19][20]。 1988年の青函トンネルの開通により、動物が歩いて津軽海峡を渡ることが可能となり、北海道と本州北部の生態系に変化があることが懸念されている[21][22]。実際に、2007年には青森県でキタキツネの生息が確認されている[23]。 函館山山頂にはブラキストンの碑が設置されており、碑文でブラキストン線発見の功績が紹介されている[5]。
発見
生物相の違い
境界線の起源についての仮説10,000?20,000年前の日本列島周辺の海岸線。細い線は現在の海岸線である。
近年の変化
記念碑函館山山頂にあるブラキストンの碑
脚注^ 小項目事典, デジタル大辞泉,日本大百科全書(ニッポニカ),ブリタニカ国際大百科事典. “ブレーキストン線(ブレーキストンセン)とは? 意味や使い方
^ 和田, 干蔵「我郷土のブラキストン線