ブラウンGP
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ブラウン(ブローン)エントリー名ブラウンGP・フォーミュラワン・チーム
Brawn GP Formula One Team
チーム国籍
イギリス
チーム本拠地 イギリス
イングランド
ノーサンプトンシャー州ブラックリー
主なチーム関係者ロス・ブラウン
ニック・フライ
ロイック・ビゴワ
ヨルグ・ザンダー
主なドライバー ジェンソン・バトン
ルーベンス・バリチェロ
以前のチーム名称ホンダ・レーシング・F1チーム
(2006 - 2008)
撤退後メルセデスGP・ペトロナス・フォーミュラワン・チーム
F1世界選手権におけるチーム履歴
参戦年度2009
出走回数17
コンストラクターズ
タイトル
1 (2009)
ドライバーズ
タイトル
1 (2009)
優勝回数8
通算獲得ポイント172
表彰台(3位以内)回数15
ポールポジション5
ファステストラップ4
F1デビュー戦2009年オーストラリアGP
最後のレース2009年アブダビGP
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ブラウンGP(Brawn GP)は、ウィリアムズアロウズベネトンスクーデリア・フェラーリホンダなどで活躍したロス・ブラウン2009年に設立したイギリスのレーシングチームである。2009年11月、メルセデスに買収されメルセデスGPとなった。

チーム名(及びチーム代表)の「Brawn」は、日本のメディアではブラウンと表記するのが一般的だが、英語での"aw"は発音をカタカナ表記すると「オー」であり、ブローンの方が実際の発音に近い。また、一部のF1雑誌・記事(『F1 STINGER』(ネコ・パブリッシング)など)で「ブロウンGP」という表記も見られる。本記事では便宜上、以下日本で一般的な「ブラウンGP」の表記で統一する。目次

1 概要

1.1 チーム設立

1.2 2009年

1.2.1 スポンサー


1.3 メルセデスによるチーム買収


2 戦績

3 脚注

4 関連項目

5 外部リンク

概要
チーム設立

2008年後半、原油価格高騰やリーマン・ショックに起因する世界金融危機による業績悪化からホンダF1の親会社である本田技研工業F1からの撤退を12月5日に発表した[1]。その後、リチャード・ブランソン率いるヴァージン・グループや、デビッド・リチャーズ率いるプロドライブなどからチーム買収を持ちかける話があったものの、「チームに対して様々なオファーはあるが、我々は現実的な買収者を見出せていない」状態だった[2]

噂としてはニック・フライ、ロス・ブラウンら旧首脳陣によるマネジメント・バイアウト(MBO)があがっていた。最終的にホンダのF1活動に関連する企業群を束ねる持株会社である「Honda GP Holdings Ltd.」社が保有するホンダF1株式の100%をブラウン個人が買い取る形でチームが売却された[3]。なおチームの売却価格は「1ポンド」であったほか、ホンダから新経営陣に「100億円に達しない額」の保証金も支払われているという[4]

チーム名称については、当初、“Pure Racing(ピュア・レーシング)”にすることや、”ティレル”の復刻も考えていたが、最終的に法律担当から“あなたの名前で呼びましょう”と言われて決定した[5][6]

ブラウン以外の経営陣では、旧HRF1でCEOに就任していたフライがCEO職務継続とブラウンが明らかにしている[7]。またチーム正式発表後のブラウンQ&Aでも、経営陣継続を明らかにしていた[8]
2009年 バルセロナ合同テスト(バリチェロ)
この時点でスポンサーロゴが無い。

エンジンはメルセデスから供給を受け、レースドライバーは2008年のホンダと同じくジェンソン・バトンルーベンス・バリチェロの2名に決定した[9]。リサーブドライバーは当初はアレクサンダー・ヴルツが続投する予定だったが、開幕直前になってアンソニー・デビッドソンに変更された。この点についてニック・フライは「ヴルツを雇えるほど我々は裕福ではない」とコメントしている[10] 。ヴルツはチームにアドバイザーとして残留することとなった。

2009年用のマシンであるBGP0013月6日シルバーストーンシェイクダウンされた[11]。12月5日にホンダがF1撤退を表明して以来、2009年のシーズンを迎えるにあたりとても重要な時期である12月・1月・2月のテストを棒に振ったにも関わらず、3月9日-12日のバルセロナ合同テスト、3月15日-17日のヘレス合同テストでは、トップタイムを記録するなど、速さを披露。しかし、イギリスGPそしてドイツGPと気温が低くなったレースではマシンの特性上性能を発揮することが難しく、苦戦する場面も見受けられた。

カーナンバーについては、当初はホンダのものを受け継ぎ18, 19となる予定であったが、後に新規エントリー扱いとなったためフォース・インディアを繰り上げ、20, 21を割り当てることとした。しかし変更時期がシーズン開幕目前であり、フォース・インディア側がカーナンバー20, 21を使用したチームグッズを作っていたため、18, 19を空き番として22, 23が割り当てられることになった。 マレーシアGP(バトン)
チームとヴァージンのロゴだけが入った状態

3月27日から第1戦オーストラリアGPを迎えた。予選ではQ1、Q2ではバリチェロが1位、バトンが2位、Q3ではバトンが1位、バリチェロが2位と全セッションのトップタイムと2位タイムを記録し、フロントローを独占した。デビューレースでのポールポジション獲得は1970年カナダグランプリのティレル以来、フロントロー独占は1970年南アフリカグランプリのマーチ以来ともに39年ぶりの快挙だった。決勝はポールポジションからスタートしたバトンが、1度もトップを譲らずにポールトゥウィンで優勝。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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