ブラウン内閣_(第3次改造)
[Wikipedia|▼Menu]

ブラウン第3次改造内閣(ブラウンだいさんじかいぞうないかく)は、イギリスの首相ゴードン・ブラウンによって組閣されたイギリス内閣。前ブラウン第2次改造内閣からの再改造内閣であり、2009年6月5日に発足、2010年5月11日まで継続した。

ブラウン首相は2007年6月の政権発足から約3年を経た2010年5月に総選挙を断行したが、保守党に第一党を明け渡し、下野することになった。
改造までの経緯
経費乱用問題と閣僚への波及

2007年の発足以来、低い支持率に悩むブラウン政権だったが、2008年9月のリーマン・ショックを受けた世界金融危機の対応が評価されて以降は、支持率が回復し始めた。

しかし、2009年に入って英国が17年ぶりの景気後退に突入し、元グルカ兵の永住権問題、議員の経費乱用問題など数々の問題が後を追って表面化すると、再びブラウン内閣の支持率は低下し始め、党内でも「ブラウンおろし」の動きが公然化した。

6月の統一地方選挙を目前に議員の経費乱用をめぐる問題でブラウン首相の盟友・マイケル・マーティン下院議長(Michael Martin)をはじめ、野党あわせて20人もの議員が辞職する事態となり、6月2日にはジャッキー・スミス内務大臣、6月3日にはヘーゼル・ブリアーズコミュニティー・地方政府担当大臣も辞任を表明。

経費問題で辞任した2人の閣僚であるが、スミス、ブリアーズ両名とも首相側近のブラウン派と対立するブレア派の議員でもあるため、この辞任には「反ブラウン」の側面もあった[1]。実際、この辞任劇をきっかけ党首交代を求め、党首選挙を実施するための動きも活発化しており、BBCのロビンソン政治部長は、ブリアーズの辞意表明が事実上の「党首選の号砲」だったと指摘している[2]
地方統一選大敗と相次ぐ閣僚辞任首相に退陣を要求して辞任したジェームズ・パーネル雇用・年金大臣

そんな状況下で行われた、6月4日投開票の地方統一選挙では、与党・労働党が最大野党の保守党のみならず、第3政党の自由民主党にも水をあけられる大敗を喫した[3]。これをうけ、選挙結果が完全にははっきりとしない同4日夜の時点で、労働党の若手議員のホープ格・ジェームズ・パーネル雇用・年金大臣(James Purnell)が「労働党を救うため」としてブラウン首相に対して退陣を求めた上で辞任を表明[4][5]

この動きにジョン・ハットン国防大臣・ジェフ・フーン運輸大臣・ポール・マーフィウェールズ大臣も続き、この動きを受けてブラウン首相は内閣改造を行うと発表。また、ブラウン首相の記者会見中にキャロライン・フリント欧州担当閣外大臣も辞任を表明し、24時間以内に閣僚級5人が辞任するという異例の事態となった[6]

結果、一連の騒動では以下閣僚6人が辞任することとなった(閣外大臣は除く)[7]

ヘーゼル・ブリアーズ(コミュニティー・地方政府担当大臣)

ジェフ・フーン(運輸大臣)

ジョン・ハットン(国防大臣)

ポール・マーフィー(ウェールズ大臣)

ジェームズ・パーネル(雇用・年金大臣)

ジャッキー・スミス(内務大臣)

辞任した閣僚6人のうちほとんどがブレア派で、同時に自身も経費乱用を指摘されていた議員達であるため、彼らの辞任を「計算づくの行動」とする観測もある[2]。また、トニー・マクナルティロンドン担当閣外大臣、マーガレット・ベケット住宅担当閣外大臣、ベバリー・ヒュー児童・青年・家庭担当閣外大臣も改造の結果、閣内から去った。
内閣改造

改造では、デイヴィッド・ミリバンド外務大臣など党内の有力議員を留任させ、ジャッキー・スミスの辞任で席が空いた"Great Offices of the State"と呼ばれる4ポスト(首相・蔵相・外相・内相)の一角・内務大臣には次期党首の最有力候補・アラン・ジョンソン保健大臣が横滑りした。アリスター・ダーリング財務大臣、ジャック・ストロー司法大臣、エド・ボールズ児童・青年・家庭大臣、ダグラス・アレクサンダー国際開発大臣ら首相側近(ブラウン派)の閣僚も、発足以来のポストに留任となっている。

また、副党首(王璽尚書庶民院院内総務、平等担当大臣兼任)のハリエット・ハーマンや、前ブレア首相の側近ピーター・マンデルソンビジネス担当大臣の席次が首相に次ぐナンバー2.3に引き上げられた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:46 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef