ブラウン・アイド・ガール
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この項目では、ヴァン・モリソンの楽曲について説明しています。韓国の女性4人組グループについては「Brown Eyed Girls」をご覧ください。

「ブラウン・アイド・ガール」
ヴァン・モリソンシングル
初出アルバム『ブロウイン・ユア・マインド
B面グッドバイ・ベイビー
リリース1967年6月
録音1967年3月28日
ジャンルロック、ブリティッシュ・R&B
時間3分3秒
レーベルバング・レコード
作詞・作曲ヴァン・モリソン
プロデュースバート・バーンズ(英語版)
ヴァン・モリソン シングル 年表

ブラウン・アイド・ガール
(1967年)ロ・ロ・ロージー
(1967年)

ミュージックビデオ
「Brown Eyed Girl」 - YouTube


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「ブラウン・アイド・ガール」または「茶色の眼をした女の子」(Brown Eyed Girl)は、ヴァン・モリソンによる楽曲。レコーディングは1967年3月に行われ、シングルとしてバング・レコードから1967年6月に発売された。Billboard Hot 100における最高順位は10位。ゼムを脱退したヴァン・モリソンのソロ活動1作目であり、彼の代表曲でもある[1]。アメリカのラジオ局では1,000万回以上放送されたクラシック・ロックの定番であり[2]、また今までに幾度となくカバーされてきた曲である。
制作背景

「ブラウン・アイド・ガール」はヴァン・モリソンの最初のソロ作品である。それまでモリソンはゼムに在籍しバンドの一員として活動を行っていた。1966年のアメリカツアー終了後、モリソンはゼムから脱退しベルファストに戻った。そのころゼム時代から関わりのあった音楽プロデューサー、バート・バーンズ(英語版)はニューヨークでバング・レコードを立ち上げており、モリソンのソロ活動を開始させるため、彼をニューヨークに招いた[3][4]。1967年3月28日、2日間にわたるレコーディングが始まり、シングル4枚分の8曲が録音された[5]。レコーディングはA&Rスタジオで行われ、楽曲「ブラウン・アイド・ガール」は初日の22テイク目で録音された[6]。スタジオにはギタリストのエリック・ゲイルヒュー・マクラッケン[7][8]、アル・ゴルゴーニ(英語版)、ベーシストのラス・サヴァカス(英語版)、ピアニストのポール・グリフィン(英語版)、ドラマーのゲイリー・チェスター(英語版)らが参加した[9][10]コーラスにはスイート・インスピレーションズ(英語版)が参加している[11]。シングル「ブラウン・アイド・ガール」は1967年6月中旬にリリースされた[12]

元々のタイトルは「Brown-Skinned Girl(茶色い肌の女の子)」であったが、モリソンがレコーディング時に現在のタイトルに変更したという。モリソンの言によればこの変更はただの間違いで、うっかりしてしまったということである[2][13][14]。一方、『茶色い肌の女の子』という曲は異人種間の交流を描いたものであったが、モリソンがラジオ局での受けを良くするためタイトルを変更したとも言われている[15]

かつての恋人のことを歌ったノスタルジックな歌詞であるが、当時のラジオ局では過激と受け止められることが多く、ラジオで放送されたものは、「making love in the green grass」の部分が「laughin' and a-runnin', hey hey」に置き換えられている[2]。このラジオ・エディット・バージョンは『ザ・ベスト・オブ・ヴァン・モリソン』でも使用されている[2]

バング・レコードとの契約によりモリソンは、ロイヤリティーが支払われるまでレコーディングにかかった費用を負うこととなった[16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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