ブラウンシュヴァイク
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この項目では、ドイツの都市について説明しています。

現代ドイツ海軍のコルベットについては「ブラウンシュヴァイク級コルベット」をご覧ください。

帝政ドイツ時代のドイツ海軍の戦艦については「ブラウンシュヴァイク級戦艦」をご覧ください。

紋章地図

基本情報
連邦州:ニーダーザクセン州
郡:郡独立市
緯度経度:北緯 52度16分09秒
東経 10度31分16秒
標高:海抜 75 m
面積:192.13 km2
人口:

248,823人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:1,295 人/km2
郵便番号:38100 - 38126 (旧: 3300)
市外局番:0531, 05300, 05307, 05309, 05341
ナンバープレート:BS
自治体コード:03 1 01 000
市の構成:20 市区
ウェブサイト: ⇒www.braunschweig.de
行政
上級市長:Ulrich Markurth (SPD)
多数派政党:CDU、FDP
1300年頃のブラウンシュヴァイク。(マッパ・ムンディのひとつエプストルフの世界地図 (英語)より) 市庁舎 ハインリヒ獅子公

ブラウンシュヴァイク(: Braunschweig, : Brunswick)は、ドイツの都市。ニーダーザクセン州の代表的都市であり、人口25万2,768人は同州において州都ハノーファーに次ぐ(2015年)。街の名前は「Brunoの村」の意味(Brunoはブルン1世を指す)。
地勢

ハルツ山地の北方に位置する。土地は肥沃であり農業が盛ん。交通の要衝でもあり、商工業も発展している。近隣の都市としては、約25キロほど北東に位置するヴォルフスブルク、40キロほど南西に位置するヒルデスハイム、55キロほど北西に位置するハノーファーなどが挙げられる。
歴史「en:Timeline of Braunschweig ブラウンシュヴァイクの歴史 (英語版)」も参照

ブラウンシュヴァイクの起源には明らかな記録はなく、伝承ではふたつの集落が合併して始まったという。ひとつは861年にオーカー川の片側にザクセン王ブルノ1世が開いたとされる集落、もう一つは伝説の貴族ダンクヴァルトが置いた集落という。ダンクヴァルターローデ城 (「ダンクヴァルト卿の開墾地」の城) は19世紀に再建された[2][3]

この都市は旧称をブルンズウィク (Brunswik) といい、人名のブルノと低地ドイツ語のウィク (Bruno + wik) の合成語である。ウィクとは商人が滞在したり物資を保管したりする場所を指すことから[4]、オーカー川の渡し場として遠隔商人の定住に最良の場所を意味するという[5]。また別の説は、森林を焼いて (ブラント) 開墾したという故事を引いている[6]

ブルンズウィクの名前が最初に現われるマグニ教会の文書は1031年に記された[3]。今日、教会はマグニ地区の中心として、Altenwiekの旧Weichsel地区に建つ。

中世においては、神聖ローマ皇帝と争ったハインリヒ獅子公の拠点であった。ブラウンシュヴァイクはヒルデスハイムマクデブルクをつなぐ東西に走る重要な街道と ゴスラルリューネブルクをむすぶ南北に走る重要な街道の結節点に位置し、水上交通も利用できたので交通の要衝であった[7]1231年に発行されたAltstadtの市参事会文書には、金細工師のギルド(Gilde der Goldschmiede)への特権の付与が記されているが、この文書は初めて市参事会会員名が書かれ、市章が付されたものである[8]。1250年には、ハンザ同盟に加盟している[5]。「ハンザは構造の異なる経済地域の間を仲介することを、存在の基盤としていた」ので、「都市に固有な輸出手工業は二流の役割を演じていた」にすぎないのだが、例外の一つがブラウンシュヴァイクであった。「ブラウンシュヴァイクは通商ルートの上で一段と良好な位置を占めていたおかげで、鉱山都市ゴスラルで営まれていた銅を加工」し、真鍮を生産する「輸出手工業を引き寄せた」[9]1400年頃の人口は約17000人に達し、リューベックに次ぐ北ドイツ第2の大都市であった[7]15世紀には、帝国都市並みに帝国議会に招待されている[10]。ハインリヒ獅子公の子孫が治めたブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国ではリューネブルクと並ぶ主要都市であり、13世紀より(15世紀から18世紀にかけての一時期を除き)ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領そしてブラウンシュヴァイク公国の都となった。この間、他の諸都市に比べて長く自治権を保持してきたブラウンシュヴァイク市であったが、1671年には「近隣諸侯の軍隊の包囲を受けて」その自治権を失った[11]第一次世界大戦後はブラウンシュヴァイク自由州の州都であった。中世由来長く保存されてきた、きわめて多数の聖俗の建築物は一部を除いて1944年から 1945年にかけての空襲により破壊された[7]第二次世界大戦後、イギリスの占領統治を経てニーダーザクセン州に属することとなった。

阿部謹也は『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』について、この民衆本を、15世紀・16世紀「当時の民衆の慣習やブラウンシュヴァイクの歴史上の事件を、ティルの伝記として構想された」書物として捉え、読者はこの民衆本の話と作者の生涯とをあわせて観察し、「さらに当時のブラウンシュヴァイクにおける社会諸階層の間の人間関係へと目を広げてゆく道が開かれる」と述べている[12]。この民衆本の第19話では、ブラウンシュヴァイクに舞い戻り、パン屋でパン焼き職人と自称したオイレンシュピーゲルはフクロウと尾長猿の形のパンを焼いて親方から追い出されるが、「ブラウンシュヴァイク市にさえゆけばどんな珍しいものでも金にならないことはないということを聞いたことがあるぞ」と考え、聖ニコラウス祭りの前夜に教会の前に立ってパンを見事に完売している[13]
人口統計

ブラウンシュヴァイクの人口は25万2,768人(2015年)であり[14]、25歳から34歳の若者にとってドイツの最も魅力的な20都市のひとつとされたことが若い住民の流入に結びついている[15]
宗教

2015年の統計によると、住民の半数に当たる12万6,379人がキリスト教以外の宗教の信者または無信心であった[14]。キリスト教徒はプロテスタントが9万1,785人(36.3%)、ローマカトリック教徒3万4,604人(13.7%)である。また同統計により、ドイツ国籍を含む全住民のうち25.6%に当たる6万4,737人に移民出身という背景があること、その10.2%はドイツ国籍がないとわかる(2万5,676人)[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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