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1269年 - 1815年 →公用語低ザクセン語、ドイツ語
首都ブラウンシュヴァイク(1235年 - 1432年)
ヴォルフェンビュッテル(1432年 - 1753年)
ブラウンシュヴァイク(1753年 - 1815年)
ヴォルフェンビュッテル侯
1269年 - 1279年アルブレヒト1世
1806年 - 1815年フリードリヒ・ヴィルヘルム
変遷
ブラウンシュヴァイク侯領から分立1269年
カレンベルク侯領が分立1494年
ニーダーザクセン・クライスへの参加1500年
カレンベルク侯領と合邦1584年
リューネブルク系の統治、カレンベルク侯領の再分立1635年
ブラウンシュヴァイク公国の成立1815年
現在 ドイツ
ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領(ドイツ語: Furstentum Braunschweig-Wolfenbuttel)は、神聖ローマ帝国の領邦国家。ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国の分邦の1つで、中世から近世を通して存続、19世紀にブラウンシュヴァイク公国と改称した。 1235年、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世はヴェルフ家のオットー1世にブラウンシュヴァイク=リューネブルク公爵位を与えた。これがブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国の成立である。オットー1世の長男アルブレヒト1世と次男ヨハンは1269年にこの領国を分割、アルブレヒト1世はブラウンシュヴァイク、ヴォルフェンビュッテル、アインベック、グルーベンハーゲン
歴史
1369年にヨハンの子孫は断絶、アルブレヒト1世の子孫のマグヌス2世は遺領を巡ってザクセン=ヴィッテンベルクを治めるアスカーニエン家と争った(リューネブルク継承戦争)。マグヌス2世は敗死、リューネブルク侯領はアスカーニエン家が獲得したが、1388年にマグヌス2世の2人の息子ベルンハルト1世、ハインリヒ1世兄弟が領有した。その後2人は領土交換を度々行い、結果としてリューネブルクはベルンハルト1世の子孫が、ヴォルフェンビュッテルはハインリヒ1世の子孫が治めることが決定した。1463年にハインリヒ1世の息子ヴィルヘルム1世は断絶したゲッティンゲン侯領も獲得した。
1491年、ヴィルヘルム1世の息子ヴィルヘルム2世は長男のハインリヒ1世にヴォルフェンビュッテルを、次男のエーリヒ1世にカレンベルクを譲渡した。