ブライトリング
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Breitling Montres S.A.
種類非公開会社
業種時計製造
設立1884年 (1884)
創業者レオン・ブライトリング
本社スイス
主要人物ジョルジュ・カーン
製品腕時計
所有者パートナーズ・グループ
ウェブサイト ⇒www.breitling.com
ナビタイマー

ブライトリング(Breitling Montres S.A. )はスイス腕時計メーカーである。

戦前には航空業界とのつながりが強く、コクピットウォッチ、ストップウォッチを主力としていた。現在においてもパイロットウォッチやミリタリーウォッチを得意とし、「プロのための計器」「時計ではなく(航空用)計器である」という理念のもとに、製品はすべてクロノメーター検定に合格したものである[1]。実際に、現代においてもパイロット向けの腕時計として「エアロスペース」「エマージェンシー」が販売されており、高い評価を受けている。

気球による無着陸世界一周を初めて成功させたブライトリング オービター 3ジェットエンジンを乗せた翼を背負って飛行するイブ・ロッシーなど、航空界へのスポンサー活動を積極的に行っている。

近年、ブライトリングは同社の1915年発表のモデルを世界初のクロノグラフ腕時計と自称していたが[2]、実際は1913年にロンジン[3]オメガ[4]が製造した物など複数社による先行事例がある[5]。そのため「クロノグラフ腕時計」「専用プッシュボタン付クロノグラフ腕時計」いずれの条件でもブライトリングは世界初ではない。

かつては専らETAから供給されるムーブメントを採用していたが、現在は自社開発・自社製造ムーブメントcal.B01を採用した時計を中心に、cal.B20をケニッシから、cal.B25をコンセプトから、その他をセリタから供給を受けている。特にETAおよびセリタ製ムーブメントについては各部品の個体差にまで配慮した徹底的なチューニングが施され、圧倒的な高精度化に定評がある。

ムーブメントを自社製造する「マニュファクチュール」という言葉を他社と異なる意味合いで使う事があり、外部から購入したムーブメントを使っていてもマニュファクチュールと主張する事がある。
沿革コスモノートを身につけたスコット・カーペンター

1860年1月26日 - 創業者レオン・ブライトリング(Leon Breitling )がサンティミエ(Saint-Imier )にて産まれる。

1884年 - レオン・ブライトリングが時計工房「G. レオン・ブライトリング」(G.Leon Breitling )を開いた。

1884年 - レオン・ブライトリングに息子ガストン・ブライトリング(Gaston Breitling )が産まれる。

1892年 - ラ・ショー=ド=フォンのモンブリラン(Montbrillant )通りに移転し「レオン G.ブライトリング」(Leon G. Breitling S.A. Montbrillant Watch Manufactory )に改名。

1914年8月14日 - レオン・ブライトリング死去。ガストン・ブライトリングが後を継ぐ。

1915年 - レマニア製の16リーニュ 懐中時計用クロノグラフムーブメントを搭載した腕時計を製造[2]第一次世界大戦でニーズを増したパイロット向けの時計であった[6]

1927年7月30日 - ガストン・ブライトリング死去、1932年まで社長不在となる。

1932年 - ガストン・ブライトリングの息子ウィリー・ブライトリング(Willy Breitling )が後を継ぐ。

1939年 - イギリス空軍が大量のコクピットクロックを発注。

1942年 - 対数表記の四則演算用の回転計算尺を付けたクロノグラフ、初代「クロノマット」発売。

1952年 - AOPA(Aircraft Owner and Pilot Association)と提携し航空航法用の回転計算尺を付けたクロノグラフ、初代「ナビタイマー」発売。電波航法の普及に伴い高い評価を確立した。工場をラ・ショー=ド=フォンに残したまま本部をジュネーヴに移転。

1962年 - マーキュリー計画のミッションMA7でオーロラ7号の乗組員スコット・カーペンター(Scott Carpenter )の私物としてコスモノートが宇宙に行った。


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