ブライス・ハーパー
Bryce Harperフィラデルフィア・フィリーズ #3
2021年5月13日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地ネバダ州ラスベガス
生年月日 (1992-10-16) 1992年10月16日(31歳)
身長
体重6' 3" =約190.5 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション外野手、一塁手
プロ入り2010年 MLBドラフト1巡目(全体1位)
初出場2012年4月28日
年俸$27,538,462(2023年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
ラスベガス高等学校
ブライス・アーロン・マックス・ハーパー(Bryce Aron Max Harper, 1992年10月16日 - )は、アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガス出身のプロ野球選手(外野手、一塁手)。右投左打。MLBのフィラデルフィア・フィリーズ所属。愛称は"ショーマン"("The Showman)[2]。 3歳からティーボールを始める。7歳になると、10歳の子供たちに混じって野球の試合に参加するようになり、200フィート(約61m)の打球を飛ばす並外れたパワーを発揮し、相手チームから年齢詐称を疑われたため、出生証明書を常に携帯していた[3]。9歳からはアリゾナ州やコロラド州などに遠征する選抜チームに参加するようになる。毎週のように週末に遠征に出かけていたため、移動の車の中で学校の宿題をしていた時期もあったという。12歳の時には既に5フィート10インチ(約177.8cm)の長身であった[4]。 地元のラスベガス高等学校
経歴
生い立ち
2009年シーズンは39試合に出場。115打数で打率.626、14本塁打、22二塁打、9三塁打、36盗塁、 55打点、三振はわずかに5つという驚異的な成績を残している[6]。U-18アメリカ合衆国代表にも選出されている[5]。 アメリカ合衆国最大手スポーツ雑誌『スポーツ・イラストレイテッド』は、2009年6月8日号において、表紙にハーパーを掲載した[7]。NBAファイナル、NHLスタンレーカップといった主要スポーツイベントの期間中に、アマチュア野球選手が同誌の表紙を飾るのは異例のことだった。同誌は、「570FOOT HOME RUNS(570フィート=約173.7mの本塁打)」「96MPH FASTBALL(96mph=約154km/hの速球)」「16 YEARS OLD(16歳)」という謳い文句でハーパーを紹介し、「BASEBALL'S CHOSEN ONE(野球界の選ばれし者)」と称した。また、同じく高校時代から抜きん出た存在であり、高校時代に同誌の表紙を飾ったこともあるNBAクリーブランド・キャバリアーズのレブロン・ジェームズを引き合いに出し、ハーパーを「野球界のレブロン・ジェームズ」と称した。 自身が表紙を飾ったことを受けて、ハーパーは「信じられない」と語っているが、一方では「18歳か19歳になる頃には、メジャーリーグベースボール(MLB)でプレーしたい」、「いつかニューヨーク・ヤンキースでプレーして殿堂入りしたい」と語り、自信を漲らせていた[6]。 2011年のMLBドラフトで全体1位指名が有力視[8][9]されていたが、代理人スコット・ボラスのアドバイスを受けたハーパーの家族は、当初の予定より1年早い2010年のMLBドラフトでの指名を模索[6]。その結果、2009年夏に一般教育修得程度試験(G.E.D)を受験し、秋からは2年制のサザン・ネバダ大学 2010年のMLBドラフト1巡目(全体1位)でワシントン・ナショナルズから指名された[13]。交渉期限直前の8月17日に総額990万ドル+出来高払い[注 1]の5年契約[注 2]を結んだ[15]。 2011年はA級ヘイガーズタウン・サンズ
スポーツ・イラストレイテッドの表紙を飾る
プロ入りとナショナルズ時代
2012年はAAA級シラキュース・チーフスで開幕を迎えたが、マイケル・モースやライアン・ジマーマンの故障者リスト入りに伴い4月28日にメジャー初昇格を果たした[16]。