この項目では、クイーンのギタリストについて説明しています。オーストラリアの映画音楽作曲家については「ブライアン・メイ (作曲家)」をご覧ください。
ブライアン・ハロルド・メイ(英語: Sir Brian Harold May、CBE[2]、1947年7月19日 - )は、イギリスのミュージシャン、天文学者(天体物理学博士)。
ロックバンド・クイーンのギタリストであり、自作のギター「レッド・スペシャル」とピックの代わりに使用する硬貨により独特の音色を奏でるギタリストとして有名である。また自作の曲ではリード・ヴォーカルを取ることもある。ミドルセックス州のハンプトン(英語版)出身。
英音楽誌「トータル・ギター」の「史上最高のロックギタリスト」2020年版において第1位[3]。ローリング・ストーン』の選ぶ「歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第39位、2011年の改訂版では第26位。また熱心な動物愛護運動家でもある[4]。 2005年に大英帝国勲章3等「コマンダー」(司令官/CBE)を受勲。2023年新年の叙勲でナイトの爵位を授与され「サー」の称号が与えられた[5]。 インペリアル・カレッジ・ロンドンで学び、大学院では宇宙工学を研究しており、クイーンの活動が軌道に乗るまでは中学校の講師として教鞭を執っていた。その後、音楽活動のために研究を中断していたが、35年後の2007年の夏から天体物理学の研究を再開し、スペイン領カナリア諸島の天文台で研究を行って論文を完成させ、母校インペリアル・カレッジでの審査を通過して博士号を授与されている[注釈 1][6][7]。 彼のギター「レッド・スペシャル」は特に有名で、自宅のテーブルのオーク材や彼の知人の家にあった100年以上前の乾燥した暖炉の木材を材料に、エンジニアだった彼の父ハロルド(1921?87)と自作したオールカスタムギターである。そのギターと後述の独自の機材から奏でられる独特の音色と多重録音による凝ったギターの音像は、当時ロックにも使われ始めていたシンセサイザーの音だとされたことがあり、それに反発した初期のクイーンのレコードパッケージに"No Synthesisers were used on this Album(このアルバムにシンセサイザーは使用されておりません)"と書かれていたことは当時話題となった。 バンド内においては、クイーンの代表曲である「ウィ・ウィル・ロック・ユー」のほかに、「タイ・ユア・マザー・ダウン」や「アイ・ウォント・イット・オール」などのハードロック、プログレ的な「預言者の唄」やカントリー風の「'39」、「手をとりあって」や「セイヴ・ミー」などの優しいメロディを持つバラードなど、バラエティに富んだメロディー作りでバンドに貢献した。 ソロ活動はエドワード・ヴァン・ヘイレンらと競演した「スター・フリート・プロジェクト」が最初であるが、本格的なソロアルバムとしてはフレディ死後の『バック・トゥ・ザ・ライト』、『アナザー・ワールド』がある。また、フランス映画「フーリア」
経歴
エディ・ヴァン・ヘイレンのほかに、フー・ファイターズやガンズ・アンド・ローゼス、ブラック・サバス、ポール・ロジャースなど他のミュージシャンとのセッションに数多く参加しており、ジョー・サトリアーニ主催のG3プロジェクトが英国で公演を行った際にゲスト出演し、ウリ・ジョン・ロートやマイケル・シェンカーと夢の共演を果たした。