ブライアン・デ・パルマ
Brian De Palma
本名Brian Russell DePalma
生年月日 (1940-09-11) 1940年9月11日(83歳)
出生地 アメリカ合衆国 ニュージャージー州ニューアーク
職業映画監督
脚本家
配偶者ナンシー・アレン (1979?1983)
ゲイル・アン・ハード (1991?1993)
Darnell Gregorio-De Palma (1995?1997)
主な作品
『キャリー』
『殺しのドレス』
『ミッドナイトクロス』
『スカーフェイス』
『ボディ・ダブル』
『アンタッチャブル』
『カジュアリティーズ』
『カリートの道』
『ミッション:インポッシブル』
『ミッション・トゥ・マーズ』
『ファム・ファタール』
『ブラック・ダリア』
『リダクテッド 真実の価値』
『パッション』
受賞
ヴェネツィア国際映画祭
銀獅子賞(監督賞)
2007年『リダクテッド 真実の価値』
監督・ばんざい!賞
2015年『デ・パルマ』
ベルリン国際映画祭
銀熊賞
1969年『ロバート・デ・ニーロのブルーマンハッタン/BLUE MANHATAN2・黄昏のニューヨーク』
ブルーリボン賞
外国語作品賞
1987年『アンタッチャブル』
その他の賞
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ブライアン・デ・パルマ(Brian De Palma、1940年9月11日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州ニューアーク出身の映画監督。第19回ベルリン国際映画祭銀熊賞、第64回ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞などを受賞。ゴールデンラズベリー賞に5回ノミネート。本名はブライアン・ラッセル・デパルマ(Brian Russell DePalma)[1]。ブライアン・デ・パーマやブライアン・ディ・パーマと表記することもある。元妻は女優のナンシー・アレン、プロデューサーのゲイル・アン・ハード。義娘は女優・モデルのウィラ・ホランド。 イタリア系の外科医の家庭の三男として生まれる。幼少の頃、父の仕事の都合でペンシルベニア州フィラデルフィアに移住。小中高とクエーカー系の私立学校に通っていたが、一家の宗教的なバックグラウンドはカトリックであり、イタリア語を話す祖父母と共に教会へ通っていた。少年時代は数学や工学に情熱を注ぎ、科学博などで論文が高い評価を受ける一方で、父親の職場に出入りし手術を目の当たりにして血への免疫を培ったという。高校卒業後はコロンビア大学で物理を学んでいたが、在学中に『市民ケーン』『めまい』に衝撃を受け、専攻を映画に変える。 コロンビア大学卒業後、ユニバーサル・ピクチャーズから奨学金を得てサラ・ローレンス大学修士課程に進む。短編『Wotons Wake』がローゼンタール基金賞を受賞したことに自信をつけ、1963年に長編『御婚礼/ザ・ウェディング・パーティ
経歴
1970年にはワーナー・ブラザースに招かれ、ハリウッドに移住。南カリフォルニア大学に出入りするようになり、ポール・シュレイダー、ジョン・ミリアス、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』のオープニングクロールの一部をデ・パルマが手伝った)、フランシス・フォード・コッポラ、スティーヴン・スピルバーグ、マーティン・スコセッシらと出会う。マジシャンを目指す男性を描いた喜劇『Get to Know Your Rabbit』(公開は1972年、日本では2021年に『汝のウサギを知れ』の題名でCSテレビで放送)を監督するが、主人公がウサギを切り刻むマジックを披露するという部分にワーナーが難色を示し、製作中にデ・パルマは解雇される。
失意の中、ニューヨークに戻って監督した『悪魔のシスター』『ファントム・オブ・パラダイス』が、映画評論家ポーリン・ケイルらの絶賛を受け、カルトムービーとして認められる。再びハリウッドへ戻って監督した1976年のスティーヴン・キング原作の青春ホラー『キャリー』のヒットにより、一躍、世界中に名が知られるようになる。『キャリー』の成功により、長年の夢であったアルフレッド・ベスターのSF小説『分解された男』の映画化で監督するチャンスを得るが、最終的にこの企画は流れてしまう。1980年、同性愛者に対する連続殺人事件を描いたジェラルド・ウォーカー原作『クルージング』の映画化企画のために書いた脚本をベースに、アルフレッド・ヒッチコックの『サイコ』へのオマージュを捧げた『殺しのドレス』を製作。