ブライアン・ジョーンズ
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ブライアン・ジョーンズ
Brian Jones
ジョージアサザン大学におけるローリング・ストーンズの公演に出演するジョーンズ(1965年4月4日
基本情報
出生名Lewis Brian Hopkin Jones
別名Jones、Nick
生誕1942年2月28日
出身地 イングランド グロスターシャー チェルトナム
死没 (1969-07-03) 1969年7月3日(27歳没)
イングランド サセックス ハートフィールド
ジャンルロックンロール
サイケデリック・ロック
ブルースロック
ロック
R&B
職業ミュージシャン
作曲家
レコード・プロデューサー
担当楽器ボーカル
ギター
ハーモニカ
キーボード
アパラチアン・ダルシマー
トランペット
トロンボーン
メロトロン
シタール
タンブーラ(英語版)
リコーダー
サックス
パーカッション
オートハープ
マリンバ
スライド・ギター
オーボエ
バンジョー
クラリネット
ピアノ
フォーク・ギター
シロフォン
活動期間1960年 ? 1969年
レーベルデッカ・レコード
ロンドン・レコード
共同作業者ザ・ローリング・ストーンズ
著名使用楽器
ハーモニー・ストラトーンH46
ヴォックス・マークVI
ギブソン・ファイヤーバード
リッケンバッカー・360/12

ブライアン・ジョーンズ(Brian Jones、本名:Lewis Brian Hopkin Jones[1][注釈 1]1942年2月28日 - 1969年7月3日)は、イギリスミュージシャン。イギリスを代表するロックバンドである「ローリング・ストーンズ」の創始者であり初代リーダーであった。

27クラブ嚆矢としても極めて著名である。
生涯
生い立ち

ウェールズ人航空技師である父ルイス・ブラウント(1917年 - 2009年)と母ルイザ・ベアトリス(1918年 - 2011年)との間に生まれた[2]ミック・ジャガーと同様に、ジョーンズの両親も中流階級だった[3]。ローリング・ストーンズを全員労働者階級のバンドとする説は誤りである。ジョーンズは幼少の頃からピアノを習い、地元の教会の少年聖歌隊員になったり、学校のオーケストラに入ってクラリネットを習うなど、音楽的に恵まれた環境で育つ。彼は知能指数が135もある優等生であり、将来を有望視されていた。少年時代は歯科医になろうとしていたという[4]

1958年、地元のジャズ・バンド66クラブに加入。ギターサックスを習得し、ダンスパーティや学校などで演奏をした。一方、16歳のジョーンズは14歳の少女を妊娠させたことで、チェルトナム・グラマースクールを除籍される。その後はバスの運転手やレコード店の店員、石炭商などの職を転々とする[4]

1960年、地元チェルトナムにてアレクシス・コーナーと会う。この頃のジョーンズはヒッチハイクで旅をしながら行く先々で地元のバンドに飛び入りし、ギターやハーモニカを演奏して日銭を稼ぐ生活を送っていた。1961年にはチェルトナムに戻り、地元のバンドでサックスを演奏する。同年10月、交際相手のパトリシア・アンドリューズとの間に、彼にとって3番目の子供であるジュリアンが生まれる[5]
ストーンズ結成

1962年、コーナーの助言によりロンドンに移ったジョーンズは、デパート店員の職を得て妻子を養っていたが、音楽への情熱を捨てきれず、求人誌にバンドメンバー募集広告を載せた。これを見て連絡してきたのが、後にバンドメイトとなるイアン・スチュワートだった。3月、コーナーによるブルース・バンド、ブルース・インコーポレイテッドにギタリストとして参加。このバンドには、やはり後にバンドメイトとなるチャーリー・ワッツも参加していた[5]

同年4月7日、イーリング・ジャズ・クラブでエルモア・ジェームスの「ダスト・マイ・ブルーム」をスライドギターで演奏する。この時観客として来ていたミック・ジャガーキース・リチャーズは感銘を受け、ギグの後初めてジョーンズと言葉を交わした。3人は「世界中でこの手の音楽をやっている唯一の仲間」である事を確信し意気投合、バンド結成への運びとなった。6月、ジョーンズが「ローリング・ストーンズ」のバンド名を提案、一部のメンバーから反発されるが、他に代案が示されなかった事から「ローリング・ストーンズ」に決定した[6]。7月より、ストーンズはマーキー・クラブに腰を落ち着けて活動する。またこの頃より、ジョーンズ、ジャガー、リチャーズの3人は、チェルシーのアパートで共同生活を始める[7]

12月、空席だったベーシストの座にビル・ワイマンが就き、翌1963年には複数のバンドを掛け持ちしていたチャーリー・ワッツの引き抜きに成功。同年6月にストーンズはデッカと契約しデビューを果たす。ジョーンズは紛れもなくローリング・ストーンズの創設者であった。
ローリング・ストーンズとして

ストーンズは当初、イギリスの白人聴衆に「本物の」R&Bを聴かせることを目的としており、ジョーンズはストーンズを紹介する際には必ず「R&Bバンド」を名乗った[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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