ブライアン・キース
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ブライアン・キース
Brian Keith
1957年撮影
本名Robert Alba Keith[1]
Robert Keith Richey Jr.[2]
別名義ロバート・キース・ジュニア
生年月日 (1921-11-14) 1921年11月14日
没年月日 (1997-06-24) 1997年6月24日(75歳没)
出生地 アメリカ合衆国ニュージャージー州ベイヨン
死没地 アメリカ合衆国カリフォルニア州マリブ
身長185 cm[2]
職業俳優
ジャンルテレビ、映画、舞台
活動期間1924年 - 1997年
配偶者フランシス・ヘルム(1948年 - 1954年)
ジュディ・ランドン(英語版)(1954年 - 1969年)
ヴィクトリア・ヤング(1970年 - 1997年)
著名な家族ロバート・キース(父)
ヘレナ・シップマン(母)
公式サイト ⇒The Official Brian Keith Web Site
主な作品
ニューヨーク・パパ』(1966年 - 1971年)
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ブライアン・キース(Brian Keith、1921年11月14日 - 1997年6月24日)は、アメリカニュージャージー州出身の俳優。名脇役として知られる俳優ロバート・キースの息子である。
来歴

1921年にニュージャージー州ベイヨンで俳優ロバート・キースと舞台女優ヘレナ・シップマンの間に生まれ、両親の巡業に伴い、旅の中で育つ[2]ハリウッドで子役としての活動を始め、1924年に父と共演したサイレント映画『Pied Piper Malone』で子役デビューする。両親の離婚に伴い、ニューヨーク州ロングアイランドで祖母に育てられる[1]

1927年に父ロバートが女優ペグ・エントウィスルと再婚するが、1929年に離婚。原因の1つはロバートに離婚歴があり、息子ブライアンがいることをペグに隠していたからとされる[3][4]

ラジオや舞台で演技の仕事をした後[2]、1941年に[1]アメリカ海兵隊に入隊、第二次世界大戦に従軍する。退役後に本格的に俳優として活動を始め、1946年にブロードウェイデビュー[5]、1952年にコロンビア ピクチャーズと契約し[6]、映画だけでなくテレビにも出演するようになる。

1966年から1971年までCBSで放送されたシチュエーション・コメディニューヨーク・パパ』が大ヒット。プライムタイム・エミー賞主演男優賞(コメディ部門)に3度ノミネートされる。本作は日本でも放送された。1972年から1974年までNBCでシチュエーション・コメディ『The Brian Keith Show』が放送される。

1997年6月に拳銃自殺。同年4月の娘デイジーの自殺と本人の肺気腫肺癌を苦にしたと見られる[5]。その後、2008年になってハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにテレビ部門で星を授与される[7]
出演作品
映画

公開年邦題
原題役名備考吹き替え
1947
影なき殺人
Boomerang裁判所の後ろの男クレジット無し
1948ジェニーの肖像
Portrait of Jennieアイススケートする男クレジット無し
195114時間の恐怖
Fourteen Hoursエキストラ日本劇場未公開
クレジット無し
1953アロウヘッド
Arrowheadビル・ノース愛川欽也(東京12ch版)
1954北海の男
Alaska Seasジム・キマーリー
アマゾンの秘宝
Jivaroトニー日本劇場未公開
1955欲望の谷
The Violent Menコール・ウィルキソン
消された証人
Tight Spotヴィンス・ストライカー日本劇場未公開
1956夕暮れのとき
Nightfallジョン
1957赤い矢
Run of the Arrowクラーク大尉和田文夫(東京12ch版)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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