ブライアン・カウエン
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アイルランド政治家ブライアン・カウエン: Brian Cowen
: Brian O Comhain

生年月日 (1960-01-10) 1960年1月10日(64歳)
出生地 アイルランド
オファリー県タラモア
出身校ユニバーシティ・カレッジ・ダブリン
所属政党共和党
配偶者メアリー・モロイ
サイン
アイルランド
第12代 首相
在任期間2008年5月7日 - 2011年3月9日
大統領メアリー・マッカリース
アイルランド
国会議員(TD)
選挙区リーシュ=オファリー
在任期間1984年6月 - 2011年2月
アイルランド
第7代 共和党党首
在任期間2008年5月7日 - 2011年1月22日
アイルランド
第25代 外務大臣
内閣第25内閣
第26内閣
第28内閣
在任期間2000年1月27日2011年1月19日 - 2004年9月29日2011年3月9日
大統領メアリー・ロビンソン
アイルランド
副首相
内閣第27内閣
在任期間2007年6月14日 - 2008年5月7日
大統領メアリー・ロビンソン
その他の職歴
アイルランド
共和党副党首
2002年6月28日 - 2008年5月7日
アイルランド
第20代 保健・児童大臣
1997年6月26日 - 2000年1月27日
アイルランド
第13代 運輸・エネルギー・通信大臣
1993年1月23日 - 1994年12月15日
アイルランド
第12代 エネルギー大臣
1993年1月12日 - 1993年1月22日
アイルランド
第11代 労働大臣
1992年2月11日 - 1993年1月12日
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ブライアン・カウエン(英語: Brian Cowen、アイルランド語: Brian O Comhain、1960年1月10日 - )は、アイルランドの政治家。フィアナ・フォイル - 共和党所属の国会議員(ドイル・エアラン議員、TD)、共和党党首(第7代)、労働大臣(第11代)、エネルギー大臣(第12代)、運輸・エネルギー・通信大臣(第13代)、保健・児童大臣(第20代)、外務大臣(第25代)、財務大臣(第24代)、アイルランド副首相(第20代)、アイルランド首相(第12代)を務めた。
概要

2008年5月8日に自らが率いるフィアナ・フォイル - 共和党と、緑の党、進歩民主党で連立を組み、また無所属のドイル・エアラン(下院)議員から支持を受けて首班指名を受けた。

1984年にリーシュ=オファリー選挙区で当選して以来、ドイル・エアラン議員を務める。閣僚として、労働大臣(1992年 - 1993年)、エネルギー大臣(1993年)、運輸・エネルギー・通信大臣(1993年 - 1994年)、保健・児童大臣(1997年 - 2000年)、外務大臣(2000年 - 2004年)、財務相大臣(2004年 - 2008年)を歴任し、2007年から2008年にかけては副首相 (Tanaiste) も兼務した。2008年4月9日にはバーティ・アハーンの後任として共和党党首に選出される[1]。2008年5月7日、ドイル・エアランは前日にアハーンが首相を辞職したことを受けてカウエンを新首相に選出した。就任後数週間で、新政権はアイルランドの金融・銀行危機に直面した。いずれの危機にも歯止めをかけることができなかったことで大きな批判を受け、最終的にはアイルランド政府が欧県連合(EU)と国際通貨基金(IMF)に財政支援を正式に要請することになったが、アイルランド国民の屈辱と広く受け止められていた[2]。カウエンのリーダーシップにより、共和党に対する国民の支持率は記録的な低さに落ち込み、カウエンはアイルランドの世論調査史上最低の支持率を記録し、一時は8%の支持率を記録したこともあった[3]2011年1月の内閣改造に失敗し、政治的圧力が高まる中、カウエンは共和党党首を辞任したが、その数ヶ月後に行われた総選挙まで党首を務め、その時には政界から身を引いている[4][5]

サンデー・タイムズ紙はカウエンの在任期間を「悲惨な失敗」と評した[6]。2011年には、アイリッシュ・インデペンデント紙は、カウエンを「国家の歴史の中で最悪の首相」と呼んだ[7]
経歴
政界入りまで

ブライアン・カウエンは1960年1月10日オファリー県クララにおいて、バーナードとメイの間に生まれる[8][9]。父バーナードは共和党に所属し、ドイル・エアラン(下院)、シャナズ・エアラン(上院)議員を務めていたが、1984年に死別する。一家はクララでは、住んでいた家の近くにパブを所有しており、バーナードはオークショニアとして、ブライアンも幼いころから父親のパブでバーテンダーとして働いていた[10]。ブライアンにはクリストファーとバリーの2人の兄がいる[9]。バリーも政治の世界に足を踏み入れており、共和党に所属し、オファリー県評議会の議員を務めている[11][12][13]。1番上の兄クリストファーは一家が所有するパブを経営している。しかし、一家が所有する旧家とパブは町の開発のために取り壊されることになっている[14]

カウエンはクララ国立学校、シトー会系の Ard Scoil Naomh Chiarain で学び、12歳のときに寄宿生としてティペラリー県ロスクレーにある セント・マウント・ジョセフ・シトー会カレッジ(Cistercian College of Mount St. Joseph)に入学する[15]。その後ユニバーシティ・カレッジ・ダブリン(アイルランド国立大学ダブリン校)に進み、法学を学ぶ。その後ダブリンのアイルランド法学会(Incorporated Law Society of Ireland)の事務弁護士の資格を取得する[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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