ブドウ
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「葡萄」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ぶどう」をご覧ください。

ブドウ属
種なしのオータムロイヤル種 (Autumn Royal)
分類

:植物界 Plantae
階級なし:被子植物 Angiosperms
階級なし:真正双子葉類 eudicots
階級なし:バラ類 rosids
:ブドウ目 Vitales
:ブドウ科 Vitaceae
:ブドウ属 Vitis




本文を参照

ブドウ(葡萄[1]: grape、学名: Vitis spp.)は、ブドウ科(Vitaceae)のつる性落葉低木である。また、その果実のこと。中近東が原産といわれ、古代ヨーロッパや中国などへと広まり、温帯域を中心に世界中で栽培されている。食用になる果実は房になって垂れ下がり、多数の実をつける。栽培種はヨーロッパ種やアメリカ種、それらの交雑種があり、果皮の色により赤系、黒系、緑系がある。

紀元前2世紀ごろの中央アジア・フェルガナでの呼称 budaw(ブーダウ)に対する中国語の音写「蒲陶」が変じて「葡萄」となった[2][3]
特徴

ブドウ100 gあたりの栄養価
エネルギー288 kJ (69 kcal)

炭水化物18.1 g
糖類15.48 g
食物繊維0.9 g

脂肪0.16 g

タンパク質0.72 g

ビタミン
チアミン (B1)(6%) 0.069 mg
リボフラビン (B2)(6%) 0.07 mg
ナイアシン (B3)(1%) 0.188 mg
パントテン酸 (B5)(1%) 0.05 mg
ビタミンB6(7%) 0.086 mg
葉酸 (B9)(1%) 2 μg
ビタミンC(13%) 10.8 mg

ミネラル
カリウム(4%) 191 mg
カルシウム(1%) 10 mg
マグネシウム(2%) 7 mg
リン(3%) 20 mg
鉄分(3%) 0.36 mg
亜鉛(1%) 0.07 mg
マンガン(3%) 0.071 mg


単位

μg = マイクログラム (英語版) • mg = ミリグラム

IU = 国際単位

%はアメリカ合衆国における
成人栄養摂取目標 (RDI) の割合。
出典: USDA栄養データベース(英語)
ブドウ果実の断面図

は両側に切れ込みのある15 - 20センチメートルほどの大きさで、穂状のをつける。野生種は雌雄異株であるが、栽培ブドウは1つの花におしべめしべがあり、自家受粉する自家結実性であるため、他の木がなくとも1本で実をつける。果実は果柄(かへい)を通じて房状になり[4]果皮は緑色または濃紫色で、内部(果肉)は淡緑色である。果皮についている白い粉状のものはブルームとよばれる蝋物質で、水分の蒸発を防ぐために実から自然に出てくる[1]

主に熟した果実を食用とするが、果実は子房が肥大化した、いわゆる真果である。外果皮が果皮となり、中果皮と内果皮は果肉となる。果実のタイプとしては漿果に属する。大きさは2 - 8センチメートル程度の物が一般的である。ブドウの果実は枝に近い部分から熟していくため、房の上の部分ほど甘みが強くなり、房の下に行くに従い甘味も弱くなる。皮の紫色は主にポリフェノールの1種であるアントシアニンによるものである[1]。甘味成分としてはブドウ糖果糖がほぼ等量含まれている[1]。また、酸味成分として酒石酸リンゴ酸が、これもほぼ等量含まれる。

ブドウ属の植物は数十種あり、北アメリカ東アジアに多く、インド中東南アフリカにも自生種がある。日本の山野に分布する、ヤマブドウエビヅル、サンカクヅル(英語版)(ギョウジャノミズ)もブドウ属の植物である。

現在、ワイン用、干しぶどう用または生食用に栽培されているブドウは、ペルシアカフカスが原産のヴィニフェラ種 (V. vinifera) と、北アメリカ原産のラブルスカ種 (V. labrusca)である。

栽培されるブドウには生食用ブドウと加工用ブドウがあり、加工用品種は醸造・干しブドウ・ジュースなどに利用される。生食用はテーブルグレープ(英語版)、酒造用はワイングレープ(wine grapes)と呼ばれている。
栽培法ブルゴーニュ地域圏、クロ・ド・ヴジョーの葡萄園。垣根作りの農園である詳細は「ブドウの栽培(ドイツ語版)」および「ブドウの栽培の歴史(ドイツ語版)」を参照

ブドウは温帯の農作物で、平均気温が10度から20度程度の地域が栽培適地である。北半球では北緯30度から50度、南半球では南緯20度から40度の間に主要産地が存在する。最適の降水量は品種によって差があり、ヨーロッパブドウは一般に乾燥を好み、アメリカブドウは湿潤にも強いが、種全体としてみれば年間降水量が500 mmから1,600 mmあたりまでに主要産地が存在する。

ブドウは水はけがよく日当たりが良い土地を好む。他の果樹と同様、ブドウも種子から育てると質の良い果実ができにくく、またを土に挿すと容易にを生やすため、古来から挿し木によって増やされてきた。しかし、19世紀後半に根に寄生するブドウネアブラムシ(フィロキセラ)によって大打撃を受けたため、以後は病害虫予防のために台木を使用することが一般的となった。

収穫期は品種によって差があるが、日本においては最も早いデラウェアが7月下旬から収穫が始められ、最も遅い品種は11月上旬まで収穫される。また、ハウス栽培の場合はこれよりも早くなる。

世界で木の仕立て方は、4種類ある[5]。括弧()内は地域。
垣根仕立て。(全世界)

株仕立て。(フランス、スペイン)

棒仕立て。(ドイツ〔モーゼル〕)

棚仕立て。(日本、イタリア及び南米の一部)

歴史詳細は「ブドウ栽培」を参照
世界的観点から

原産地の中近東から、古代ヨーロッパや中国に伝わったとされる[1]。世界的観点からは、ブドウは生食する果物というより、葡萄酒の原料であった。ブドウの栽培化の歴史は古く、紀元前3000年頃には原産地であるコーカサス地方やカスピ海沿岸ですでにヨーロッパブドウの栽培が開始されていた。ワインの醸造は早くに始まり、メソポタミア文明古代エジプトにおいてもワインは珍重されていた。メソポタミアでは気候や土壌的にブドウの栽培が困難なため、消費されていたワインの多くは輸入されていた[6]ギリシャ神話には、デュオニソス(バッカス)がエーゲ海諸島にブドウの植え方、醸造方法を広めた伝説があり[7]、有史以前からワイン醸造のためのブドウ栽培が大々的に行われていた。また、ギリシア人が植民した地域でもブドウ園が各地に開設されるようになった。ギリシアを支配したローマ帝国の時代にはワインは帝国中に広まり、そのためのブドウ栽培も帝国各地で行われるようになった。ローマ人は特にガリアラインラントにブドウを導入し、現在でもこの地域はブドウの主要生産地域となっている。ローマ帝国崩壊後の政治の混乱によってブドウ栽培は衰退していったが、各地の修道院などによって少量ながら生産が維持され続け、やがて政情が安定するとともに再び栽培が盛んとなっていった。11世紀から13世紀にかけては気候が温暖となり、イングランドのような北方の国家においてもブドウの栽培が盛んとなり、現ベルギールーヴァンなどでも輸出用のワインを作るためのブドウ栽培なども行われていた。しかし14世紀頃から気候が寒冷化した上に輸送費が下落して、ブドウの栽培地域は次第に南方へと限られるようになっていった[8]

一方、原産地から東へと伝播したものは、紀元前2世紀には中国に到達した。張騫大宛より特産のワインとブドウを持ち帰っている[2][3]

大航海時代が始まり、世界各地にヨーロッパ人植民するようになると、移民たちは故郷の味を求め、ワインを製造するために入植先にブドウを植えていった。南アフリカ共和国ケープ州チリなど、この時期に持ち込まれたブドウ栽培が成功してワインの名産地となった地域も多い。北アメリカ大陸にもヨーロッパブドウが持ち込まれたが、ここでの栽培は当初あまり成功しなかった。これは、ブドウのもう一つの主要系統であるアメリカブドウに属する野生種が北アメリカ大陸東部には多数あり、ブドウネアブラムシ(後述)などのアメリカブドウの病害が免疫のないヨーロッパブドウに大被害を与えたためである。アメリカ先住民はアメリカブドウを盛んに利用しており、やがてヨーロッパ系の植民者たちも野生種の中から有望な種を選抜して栽培種化していった。しかし、アメリカブドウには独特の香りがあり、ワインにするには不向きであったため、アメリカブドウは主にジュース用として発展していった。

アメリカでワインを生産するため、ヨーロッパブドウをアメリカで育てるために様々な試みがおこなわれた。病害に強いアメリカブドウとヨーロッパブドウを掛け合わせた雑種を作るやり方も盛んに行われたが、ワイン用としては一部を除いてヨーロッパブドウを超えることができず、次第に廃れた。一方で生食用品種では巨峰ピオーネなど有望品種がいくつも生まれている。それに代わる方法として、病害に耐性を持つアメリカブドウを台木としてヨーロッパブドウを接ぎ木する方法が19世紀後半に開発され、これが主流となった。
北米詳細は「19世紀フランスのフィロキセラ禍」を参照

北アメリカ原産のブドウはブドウネアブラムシ(フィロキセラ)に対する耐性を持つが、1870年頃に北アメリカの野生ブドウの苗木がヨーロッパにもたらされ、この根に寄生していたブドウネアブラムシによって、耐性のないヨーロッパの固有種の殆どが19世紀後半に壊滅的な打撃を受けた[9]。以後ブドウネアブラムシ等による害を防止するの理由で、ヨーロッパブドウについては、アメリカ種およびそれを起源とする雑種の台木への接ぎ木が行われている[10]
日本甲州種(勝沼町

日本には、原産地から中国を経て奈良時代に渡ったとされる[1]。日本で古くから栽培されている甲州種は、中国から輸入された東アジア系ヨーロッパブドウが自生化したものが、鎌倉時代初期に甲斐国勝沼(現在の山梨県甲州市)で栽培が始められ、明治時代以前は専ら同地近辺のみの特産品として扱われてきた[11]ヤマブドウは古くから日本に自生していたが別種である)。文治2年(1186年)に甲斐国八代郡上岩崎村の雨宮勘解由によって発見され、栽培が始まったとされる。甲州の栽培は徐々に拡大し、正和5年(1316年)には岩崎に15町歩、勝沼に5町歩の農園ができていた[12]江戸時代に入ると甲府盆地、特に勝沼町が中心となり、甲州名産の一つに数えられるようになった。松尾芭蕉が「勝沼や 馬子も葡萄を食ひながら」とのを詠んだのもこの頃のことである。正徳6年(1715年)の栽培面積は約20ヘクタールに上った。その後、関西山形でも栽培されるようになり、江戸時代末期には全国で約300ヘクタールにまで栽培面積は拡大していた[13]。日本にあった在来の品種は甲州だけではなく、甲府盆地で栽培された甲州三尺や、京都周辺で栽培されていた聚楽といった品種も存在していたが、聚楽は既に消滅し、甲州三尺の栽培も少なくなってきている。

その後、明治時代に入ると欧米から新品種が次々と導入されるようになった。当初はワイン製造を目的として主にヨーロッパブドウが導入されたが、乾燥を好む品種が多いヨーロッパブドウのほとんどは日本での栽培に失敗した。例えば、1880年(明治13年)に兵庫県加古郡印南新村(現・稲美町)にて国営播州葡萄園が開園したものの、わずか6年後に閉園に追い込まれた[14]。一方、アメリカブドウの多くは日本の気候に合い定着したものの、ワイン用としては匂いがきつく好まれなかったため、生食用果実の栽培に主眼が置かれるようになっていった。特に普及したのはデラウェアとキャンベル・アーリーであり、戦前はこの2品種が主要品種となっていた。


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