ブッチ・キャシディことロバート・ルロイ・パーカー(Robert LeRoy Parker a.k.a. Butch Cassidy[1], 1866年4月13日 - 1908年11月7日)は、アメリカ合衆国のアウトロー、強盗。
サンダンス・キッドなどと共に強盗団「ブッチ・キャシディのワイルドバンチ」を結成して、ネバダやモンタナなどで銀行強盗や列車強盗を繰り返した。官憲や鉄道会社から雇われた探偵に追われて、サンダンス・キッドとともに南米ボリビアに逃亡したが隠れ家を包囲されて殺害されたとされる。
1969年の西部劇映画『明日に向って撃て!』の題材になった。 ユタ州ビーバー
前半生
13人兄弟の長男。ユタ州ソルト・レーク・シティーの北346キロメートル(215マイル)のユタ州サークルヴィル(Circleville)近くの牧場で育てられた。10歳代前半で家を出て、酪農場で働きながら、馬泥棒で牛泥棒でもあるマイク・キャシディ(Mike Cassidy)を尊敬し、その指導を受けた。ワイオミング州ロック・スプリングス(Rock Springs)で屠殺者(butcher。ブッチャー)として短期間働き、そのとき「Butch」(ブッチ)というあだ名を得て、旧友兼師匠に敬意を表してキャシディという苗字をそれに添えたが、それに加えてその後いくつかの牧場で働いた。 パーカーの最初の犯罪は軽い犯罪であった。1880年頃、彼は別の町の衣服店まで旅行したが、あいにく店は閉まっていた。彼は店内に押し入り、ジーンズ1着とパイをいくらか取り、次に来た時に支払うことを約束する借用証書を残した。しかしながら衣服店は告発した。パーカーは陪審裁判で無罪放免になった。 彼は1884年まで牧場で働き続け、コロラド州テルユライド(Telluride)に移った。表向きは仕事を探すためだが、あるいは盗んだ馬を買手に引き渡すためかもしれない。彼はワイオミング州とモンタナ州でカウボーイ生活を送り、それから1887年にテルユライドに帰った。そこで彼は、競走馬所有者のマット・ウォーナー(Matt Warner)に会った。彼らは様々な催しで馬をレースに出場させ、勝利金を分け合った。 1889年6月24日、パーカーはウォーナーとマカーティ兄弟(McCarty Brothers)のうち2人とテルユライドのサン・ミゲル・ヴァレー銀行(San Miguel Valley Bank)から約21,000ドルを強盗した。 1890年、パーカーはワイオミング州デュボア(Dubois)近くの牧場を購入した。この牧場は悪名高い「壁の穴」から州を横切ったところにあり、その地形により無法者達の隠れ家になっていた。パーカーの牧場経営は決して成功していなかったが、牧場は「壁の穴」の無法者らとの活動を秘密にするための見せかけだった。[4] 1894年前半、パーカーは、西部開拓時代の無法者で牧場労働者のアン・バセット(Ann Bassett。1878年 - 1956年)と恋愛関係になった。 バセットの父である牧場主ハーブ・バセット(Herb Bassett)は、パーカーに新鮮な馬と牛肉を供給して取引をしていた。その年、パーカーはワイオミング州ランダー(Lander)で馬の窃盗で、そしてことによるとそこの地元の牧場主らからの保護料の取立てでも、逮捕された。ワイオミング州ララミー(Laramie)の州刑務所で2年の刑のうち18ヶ月服役し、1896年1月に州知事ウィリアム・アルフォード・リチャーズ(William Alford Richards)に刑を軽減してもらう代わりに州内で再犯をしないと約束して出所した。出所後、彼はアン・バセットの姉ジョシー(Josie)と短い関係を持ち、それからアンとの関係に復した。 出所後、彼は幅広く犯罪者集団と付き合い、親友のエルジー・レイ(Elzy Lay)、ハーヴェイ・「キッド・カリ」・ローガン(Harvey Kid Curry Logan)、ベン・キルパトリック(Ben Kilpatrick)、ハリー・トレーシー(Harry Tracy)、ウィル・「ニューズ」・カーヴァー(Will News Carver)、ローラ・ブリオン(Laura Bullion)およびジョージ・カリ(George Curry)とともにギャング団「ワイルド・バンチ」を結成した。
犯罪者としての人生
1880年 - 1887年 最初の諸事件、強盗犯になる
1889年 - 1895年 初期の強盗、入獄する
1896年 - 1897年 出所して「ワイルド・バンチ」を結成するキャシディの顔写真 ワイオミング準州監獄 1894年