ブジュンブラ
Bujumbura
2006年に撮影されたブジュンブラ。
位置
ブルンジ共和国内のブジュンブラの位置。
図内のBUJUMBURAと書かれている場所。
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}南緯3度23分0秒 東経29度22分0秒 / 南緯3.38333度 東経29.36667度 / -3.38333; 29.36667
ブジュンブラ(Bujumbura)は、タンガニーカ湖の北東岸に面したブルンジ最大の都市。
都市の規模ブジュンブラの市街地。バスターミナルの様子。
ブルンジの独立以降、ブジュンブラは長らく首都であったが、2019年1月16日にギテガへ遷都された[2]。一方で、2019年2月4日に、ブルンジにおける「経済の首都」に定められた[3]。ブルンジ最大の都市で、人口は497,166人(2008年国勢調査)、521,316人(2010年推計)を数えた[4]。人口増加率が非常に高く、1990年に実施された前回の国勢調査と比較すると、2008年の国勢調査では年率+4.24パーセントの増加であり、国内では最も高かった[5]。今後も高い増加率を維持し続けるだろうと推定されており、2050年には1,251,636人に達すると予測されている[6]。 ブジュンブラ国際空港が開港され、また、タンガニーカ湖を利用した航路も開設されている。 ただブルンジ自体は、コーヒー豆と紅茶の輸出が主要産業である。 ドイツによる植民地化以前は小さな村だったが、ドイツ領東アフリカの軍事拠点となって以降、急速に発展した。 第一次世界大戦後は、ベルギー領ルアンダ=ウルンディの首都とされた。ウスンブラという名称だったが、1962年にブルンジ王国が独立したのと同時に、市名がブジュンブラに変えられた。1966年には政治体制が共和制に変わった。しかし少数派のツチ族による、フツ族への支配に不満が噴出し、1972年には大規模なフツ族による反乱で、報復の連鎖に陥った。クーデターも繰り返されてきた。1993年にはフツ族出身の大統領を、ツチ族が殺害して内戦に陥った。1994年にも大統領が殺害され、さらにルワンダ内戦の影響で、北方のルワンダからフツ族の難民が流入し、さらに両者は対立していった。1996年に発生したツチ族によるクーデターで、ツチ族出身の軍人が大統領に就任した。ひとまず2000年に和平協定が結ばれ、2001年にツチ族とフツ族の暫定政府が発足した。ただブルンジでの内戦が終結したのは2006年であった。 2019年にブルンジでは遷都が実施され、ブジュンブラは首都ではなくなった[2]。 ブジュンブラ付近は標高800 m近い場所だが、アフリカ大地溝帯の直上でもあり、時折、地震も発生する。 ケッペンの気候区分でブジュンブラ付近の気候は、サバナ気候(Aw)に分類される。
産業
歴史
地勢
気候
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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