ブコバル
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ヴコヴァル
Vukovar

ヴコヴァルの城


市旗市章

位置

ヴコヴァル=スリイェム郡でのヴコヴァルの位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯45度21分00秒 東経19度00分12秒 / 北緯45.35000度 東経19.00333度 / 45.35000; 19.00333
行政
クロアチア
 ヴコヴァル=スリイェム郡
 市ヴコヴァル
市長?eljko Sabo(SDP
地理
面積 
  市域100.26 km2
人口
人口(2001年現在)
  市域31,670人
その他
等時帯中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
夏時間中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)
郵便番号32000
市外局番+385 032
ナンバープレートVU
公式ウェブサイト : ⇒www.vukovar.hr
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}ヴコヴァルヴコヴァル (クロアチア)20世紀初頭のヴコヴァル第一次世界大戦中のメインストリート

ヴコヴァル(クロアチア語: Vukovar,ハンガリー語: Vukovar,セルビア語: Вуковар,ドイツ語: Wukowar)は、クロアチアヴコヴァル=スリイェム郡の都市及び基礎自治体でヴコヴァル=スリイェム郡の郡都である。
地勢・交通1991 年の祖国戦争後の市内中心部の廃墟クロアチア独立戦争における戦争犠牲者の国立記念墓地大きな教会ドナウ川から見た市内中心部旧グランドホテル

地理的には、スラボニア東部に位置し、ドナウ川とヴゥカ川の合流地点に位置し、大きな河港がある。ドナウ川を挟み、対岸はセルビアヴォイヴォディナである。都市の名であるヴコヴァルは町を流れるヴゥカ川から来ており、ハンガリー語ではヴァル(var)は城を意味する。ヴカ川はもともとはスラヴ語を意味するヴゥク(vuk)から来ているとされる。ヴィンコヴツィの北東20km、オシエクの南東36kmの場所に位置し標高は108mである。市街はドナウ川に沿って広がり、ヴコヴァル市部は南東部にボロヴォ・ナセリェ地区(Borovo Naselje)は北西部に別個に広がっている。ヴコヴァル基礎自治体にはリポヴァチャ(Lipova?a)やソティン(Sotin)、グラボヴァ(Grabovo)などの村も含まれる。ユーゴスラビア社会主義連邦共和国時代のヴコヴァルの行政区域は現在よりも広かったが、その後いくつかの自治体に分割されている。ヴコヴァルには幹線道路D2号線(オシエク - ヴコヴァル - イロク)とヴィンコヴツィ - ヴコヴァル鉄道が通じている。
歴史
中世

スラヴ人がヴコヴァル周辺にやって来たのは6世紀のことである。9世紀、この地域はリュデヴィト・ポサヴスキ(en)が治めるパンノニア君主国(en)や、ブルガリア帝国の一部であるスラヴ人国家であったバラトン君主国(en)のプリビナ(en)の統治下にあった。11世紀から12世紀にかけてはクロアチア王国の統治下に入る。ヴコヴァルが最初に言及されたのは13世紀のことで、ヴォルコ(Volko)やワルク(Walk)、ウォルコヴ(Wolkov)等の名称であった。もともとのクロアチア人などのスラヴの名称では町はヴコヴォの名である。14世紀からはもっとも広く現在でも使われる名称であるヴコヴァル(Vukovar)が使われるようになった。ハンガリー王はヴコヴァルをドラヴァ川サヴァ川の間に位置するスレム王国の中心とした。16世紀から17世紀にかけてはオスマン帝国に支配される。オスマンの支配が終わる頃の町には約3,000人が居住していた。
近世・近現代

17世紀後半からヴコヴァルはハプスブルク君主国の一部となり、以前はクロアチア王国とハンガリー王国の一部であったオーストリア皇帝属領のスラヴォニア王国に含まれた。この間、ヴコヴァルはスレーム県の中心地となった。1868年からスラヴォニア王国クロアチア王国と一緒になりクロアチア=スラヴォニア王国と呼ばれるようなり、ヴコヴァルもその中に含まれた。1910年、ヴコヴァルの人口は10,359人を数えクロアチア人が4,092人(39.02%)、ドイツ人が3,503人(33.80%)、セルビア人が954人(9.20%)、ハンガリー人やその他の民族が183人(1.80%)を占めていた。1918年より後のユーゴスラビア王国となるスロベニア人・クロアチア人・セルビア人国の一部となる。1918年から1922年にかけてスレム郡の行政的な中心となり、1922年から1929年にかけてはスレム州の行政の中心とされた。1929年からはサヴァ自治州(Sava Banovina)が置かれ、1939年からはクロアチア自治州の一部となっている。1941年から1944年にかけてはナチスの傀儡国家であるクロアチア独立国の領域となる。第二次世界大戦中、ヴコヴァルは連合国の空爆を受ける。2008年に当時の不発弾が市内で見つかっている[1]1945年からは新たにユーゴスラビア社会主義連邦共和国クロアチア社会主義共和国となる。
クロアチア紛争

クロアチア紛争時のヴコヴァルの戦い(英語版)では、町が完全に荒廃しきっていた。ユーゴスラビア人民軍が支援する36,000人のセルビア人勢力がヴコヴァルの町を1991年8月25日から11月18日にかけての87日間にわたり攻撃を行いクロアチア人側は僅か2,000人の防衛隊で応戦した。当時、クロアチア勢力の装備は未熟な状態だった。セルビア側は重火器や110の戦車や車両、多くの軍用機により町を壊滅させた。1,000人を超える住民が犠牲になり、5,000人以上が強制収容所に入れられた他多くの行方不明者や難民を出している[2]。ヴコヴァルでの戦闘はスターリングラード攻防戦に比べれば遥かに小さな規模であるが、ヨーロッパでは第二次世界大戦以来最悪の出来事でもあった[3][4]。貯水塔の弾痕の穴は1990年代初期の出来事の証として都市計画により保存されている。強烈な印象を残した戦いは戦後の文化にも影響を与えた。ヴコヴァルでの戦闘を映画化したものとして、「ブコバルに手紙は届かない(英語版)」(邦題)がある。又、アメリカ合衆国のテレビ局NBCのドラマ「ER緊急救命室」に登場する医師ルカ・コヴァッチュはインター時代をここで過ごし、家族を失ったという設定になっている。


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