この項目では、ヨーロッパの自動車会社およびブランドについて説明しています。
1998年に設立されたフォルクスワーゲンの子会社については「ブガッティ・オトモビル」をご覧ください。
伝統の馬蹄型グリルに取り付けられたエンブレムブガッティ・T43(1928年型)
ブガッティ(Bugatti)は、
1909年、イタリア出身の自動車技術者、エットーレ・ブガッティがアルザス(当時ドイツ領)に設立した自動車会社。1940年代初頭まで主に高性能スポーツカーやレースカーを製造していた。
1987年、イタリアの実業家、ロマーノ・アルティオーリ
及びそれらが使用している自動車ブランドである。本項では、1.及び2.について解説する。
時系列
伝説のスポーツカーメーカー ブガッティ・T43のエンジンルームと8気筒エンジン。エットーレ・ブガッティの美意識に則り、当時のブガッティエンジンは通常ではあり得ないような直方体状の外観に仕立てられていたタイプ35
ブガッティの創始者、エットーレ・ブガッティは1881年、イタリア・ミラノの芸術家一族の家に生まれた。若くして多くの自動車のエンジンの設計に携わり、さらに1909年には、自動車会社を設立、自ら自動車の設計を始めるようになり、高級クラスの市販車とグランプリレースで活躍し、知名度をあげた[1]。
その後イタリアから当時ドイツ領であった(現フランス領)アルザス地方のモルスハイムに移った。エットーレは多くのエンジンを設計し、レースではフランス・グランプリでの勝利に始まり、第1回、2回、3回モナコグランプリでの3年連続優勝、タルガ・フローリオでの優勝などの成績を残した。
その後、自動車生産と並行して気動車、飛行機の設計を行ったが、商業的に成功しなかった。1939年、エットーレの息子、ジャン・ブガッティがレースカーのテスト中に事故死し、会社の業績も下向きとなった。さらに第二次世界大戦でモルスハイムの工場は破壊され、エットーレ・ブガッティは1947年に他界した。
その後はルヴァロワ工場で飛行機用エンジンを細々と生産し、フランスの製造業社イスパノ・スイザに納入していたが、1963年に同社に吸収され、さらに1968年にスネクマ(現・サフラン)に吸収され、現在はサフラングループ傘下のメッサー・ブガッティとして飛行機のブレーキ・ホイールを作成している。
有名なモデルとしては、タイプ35、タイプ41ロワイヤル、タイプ57クーペ・アトランティーク、タイプ55などがある。
タイプ41 ロワイヤル (1932)
タイプ57 クーペ・アトランティーク(1938)
タイプ55
110年目の復活EB110 GT SS
1987年、イタリア人実業家ロマーノ・アルティオーリがブガッティの商標を手に入れ、イタリアのモデナにブガッティ・アウトモビリ(Bugatti Automobili S.p.A. )を設立。1989年、ついにその復活プランが発表され、1991年にはEB110GTを発表。1993年にはEB112とよばれるセダン型のプロトタイプも発表。当時日本で輸入元に選ばれたのはニコル・レーシング・ジャパンで、元レーシングドライバーの式場壮吉がブガッティの公式アドバイザーとなった。
EB110は3500cc V型12気筒エンジンに4基の石川島播磨重工業(現・IHIターボ)製ターボチャージャーを装備し、最高速度350キロ、0-100キロ加速は3.5秒。ドライブトレインをフルタイム4WDとしたスーパーカーである[2]。当初マルチェロ・ガンディーニによるデザインでプロトタイプが製作されていたが、発表された生産型は自社によるデザインであった。またEB112はジウジアーロによるデザイン。ジウジアーロは、後に3台のコンセプトカー(EB118・EB218およびEB18/3 シロン)のデザインも行っている。
アルティオーリは1993年にロータスをゼネラルモーターズから買収するなど過大な投資のために財政が破綻、1995年に倒産した。それに伴いEB110の生産も終了、総生産台数は154台であった。
その後ブガッティの技術者たちはパガーニ・アウトモビリを設立、1999年にパガーニ・ゾンダを発売している。 1998年にブガッティ・アウトモビリS.p.A.からフォルクスワーゲンAGが商標権を買い上げ[3]、2000年にブガッティ・オトモビルを設立[1]。フランスのアルザスに本社を置いた。詳細は「ブガッティ・オトモビル」を参照 フランス東部のミュルーズにある国立自動車博物館(Musee National de l'Automobile de Mulhouse )では、世界最大規模である約100台以上のブガッティを収蔵している。
フォルクスワーゲン傘下のブランドに
コレクション