ブエノスアイレス
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この項目では、首都であるブエノスアイレス自治市について説明しています。その他の用法については「ブエノスアイレス (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ブエノスアイレス
 Buenos Aires

自治市
ブエノスアイレス自治市
Ciudad Autonoma de Buenos Aires



紋章

愛称: The Queen of El Plata (La reina del Plata)[1][2]
The Paris of South America (La Paris de Sudamerica)[3]
アルゼンチンの位置
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座標:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}南緯34度35分59秒 西経58度22分55秒 / 南緯34.5997度 西経58.3819度 / -34.5997; -58.3819座標: 南緯34度35分59秒 西経58度22分55秒 / 南緯34.5997度 西経58.3819度 / -34.5997; -58.3819
アルゼンチン
建設1536年2月2日(ペドロ・デ・メンドーサ)
1580年6月11日 (フアン・デ・ガライ
政府
 ? 種別自治市
 ? 政府長官オラシオ・ロドリゲス・ラレッタ
面積
 ? 自治市203 km2
 ? 陸地203 km2
 ? 都市圏4,758 km2
標高25 m
人口(2022年調査)[4]
 ? 順位1位
 ? 密度15,372人/km2
 ? 都市部3,120,612人
 ? 都市圏15,624,000人
等時帯UTC?3 (アルゼンチン時間)
市外局番011
ウェブサイトwww.buenosaires.gob.ar (スペイン語)

ブエノスアイレス自治市(ブエノスアイレスじちし、西: Ciudad Autonoma de Buenos Aires、CABA)、通称ブエノスアイレス(西: Buenos Aires)は、アルゼンチン首都[5]には属さず[注釈 1]、他23州とともにアルゼンチンを構成する。

大ブエノスアイレス都市圏都市圏人口2016年時点で1,428万人であり、世界第21位である[6]

建国以来アルゼンチンの政治、経済、文化の中心である。アルゼンチンの縮図ともなっている一方で、内陸部との差異が大きすぎるため、しばしば「国内共和国」と呼ばれる。
概要

南米パリ」の名で親しまれ[7][8]、南米の中で美しい町の1つとして数えられる。

ラ・プラタ川(Rio de la Plata スペイン語で「銀の川」の意)に面しており、対岸はウルグアイコロニア・デル・サクラメント

意味はスペイン語で「buenos(良い)aires(空気、風)」の意。船乗りの望む「順風」が街の名前になったものである。

独立当時は「偉大な田舎」と呼ばれる人口5万人程の小さな町だったが、サルミエント (Sarmiento) 政権による欧州化、文明化政策の実施以降数多くの移民がイタリアスペインなどから渡来し、中南米の中でも最も欧州的な街になった。

かつて南米随一の豊かさを誇ったアルゼンチンの首都として、20世紀において長らくブエノスアイレスは南米最大級の都市であった[9]。1970年代以降のアルゼンチン経済の悪化に伴い、南米最大の都市はブラジルサンパウロに移ってしまったものの、現在でもブエノスアイレスはスペイン語圏の都市として重要性を保ち、アメリカのシンクタンクが2019年に発表した世界都市ランキングでは24位に評価され、南米の都市の中で首位であった[10]

かの有名なアルゼンチン・タンゴはこの街のボカ地区で育った。また、サッカーが盛んなことでも有名で、ディエゴ・マラドーナが在籍したボカ・ジュニアーズCAリーベル・プレートなど名門チームを数多く擁する。

市民はポルテーニョ(porteno, 女性はポルテーニャportena; 港の人、浜っ子の意)と呼ばれる[11]
歴史

1516年スペイン王の命により新大陸の探検をしていた、スペイン人航海者 フアン・ディアス・デ・ソリスは、ラ・プラタ川に到達した。ソリスは今日のラ・プラタ地域に到達した最初のヨーロッパ人だと思われるが、今日のウルグアイ領で、先住民のチャルーア族により殺害される。1536年創設当初のブエノスアイレス市の風景図。

1536年2月2日バスク人貴族でスペインの探検家だったペドロ・デ・メンドーサ(スペイン語版)の植民団一行は、現在のブエノス・アイレス南部のサン・テルモ地区に、ヌエストラ・セニョーラ・サンタ・マリーア・デル・ブエン・アイレ市(西: Ciudad de Nuestra Senora Santa Maria del Buen Ayre 直訳すると「良き風の我々の聖母マリア市」)[7] を建設した。しかしグアラニー族やチャルーア族を始めとする先住民の包囲攻撃と、それに伴う飢餓のために町は1541年に放棄され[12][13]、生き残りはパラナ川を上ってアスンシオンを建設した。

1580年、アスンシオンからパラナ川を下って来た、フアン・デ・ガライ率いるヨーロッパ人植民団により、街はラ・トリニダー (La Trinidad) 市として再建された[14]。町は当初ラ・プラタ地域の皮革などを輸出する貿易港として賑わったが、16世紀、17世紀の大半をスペインの植民地政府は、ヨーロッパへの輸出品は全てペルーリマを経由することを強制しつづけたので、市内の貿易業者の不満が高まり、イギリスやフランス、オランダとの密貿易が盛んになった[7]

1776年にブラジル方面から侵攻を続けるポルトガルからバンダ・オリエンタルを防衛するために、ペルー副王領が分離され、リオ・デ・ラ・プラタ副王領が設置されると、ブエノスアイレスは副王領の首府となり、正式に開港された。


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