フー・マンチュー
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アメリカ合衆国のロック・バンドについては「フー・マンチュー (バンド)」を、アメリカの動物園で飼育されていたオランウータンについては「フー・マンチュー (オランウータン)」をご覧ください。
『The Mystery of Dr. Fu-Manchu』の表紙に描かれたフー・マンチュー

フー・マンチュー博士(Dr.Fu Manchu[1], 傅満洲博士)は、イギリス作家サックス・ローマーが創造した架空の中国人。西欧による支配体制の破壊を目指して陰謀をめぐらす悪人であり、東洋人による世界征服の野望を持つ怪人である。
概要

長身痩躯を中国服と中国帽に包み、とドジョウ髭(彼が有名になったため、英語では「フー・マンチュー髭(Fu Manchu mustache)」と呼ばれる[2])を長く伸ばし、常に悪魔のような表情をたたえている。隠秘学、化学、医学、物理学などでヨーロッパの3つの大学で学位を取得するなど非常に明晰な頭脳を持つが、性格は狡猾で極めて残忍。中国やインドで暗殺団を組織し、その黒幕として君臨した。

彼の立案する殺人計画は、一見不可解な方法を大規模に展開するという点が特徴的である。銃撃や爆殺を軽蔑し[3]、短剣や武道、毒蛇や毒虫、毒性の菌類などによる暗殺を好む。

シリーズ初期のフー・マンチューは、シ・ファン(Si-Fan)配下の暗殺者であったが、急速に頭角を現して、秘密結社の長に上り詰めた。

フー・マンチュー博士のモデルはローマーが新聞記者としてロンドンの中華街ライムハウス(英語版)に配属された時に聞き知った暗黒街のボス、ミスター・キングなる人物だとされている。但し、命名などはラストエンペラーにして満州国皇帝にもなった愛新覚羅溥儀に因む。

現代のアメリカでは黄色人種やアジア文化への侮辱とも捉えられる[4]
原作リスト

原著者、サックス・ローマーによる長編は以下の13本[5]
The Mystery of Dr. Fu-Manchu (1913) (米題: The Insidious Dr. Fu-Manchu)『怪人 フーマンチュー』

The Devil Doctor(1916) (米題:The Return of Dr Fu-Manchu)『悪魔博士』(『悪魔博士・フーマンチュー』)

The Si-Fan Mysteries(1917)(米題:The Hand of Fu-Manchu)

Daughter of Fu Manchu (1931)

The Mask of Fu Manchu (1932)

The Bride of Fu Manchu (1933)(米題:Fu Manchu's Bride)

The Trail of Fu Manchu (1934)

President Fu Manchu (1936)

The Drums of Fu Manchu (1939)

The Island of Fu Manchu (1941)

Shadow of Fu Manchu (1948)

Re-Enter Dr. Fu Manchu (1957)(米題:Re-Enter Fu Manchu)

Emperor Fu Manchu (1959)
これ以外に短編をまとめた『The Wrath of Fu Manchu and Other Stories』(1973)が存在。同じ著者のガストン・マックスという探偵ものの『The Golden Scorpion』(1919)に脇役でフー・マンチューが登場している。
邦訳

第二次世界大戦以前、改造社「世界大衆文学全集」の一冊として長編第2作『The Devil Doctor』が『悪魔博士』の題名で日本語翻訳されており、2020年に平山雄一訳『悪魔博士・フーマンチュー』(ヒラヤマ探偵文庫08)として新訳で刊行された。また、2004年に早川書房から嵯峨静江による訳で第1作目『The Mystery of Dr. Fu-Manchu』が『怪人フー・マンチュー』として出版された[6]
映画

フー・マンチュー博士を主演とした映画は数多く製作されている。

最初に映画化されたのは1921年のイギリス、ストール社による『The Mystery of Dr. Fu-Manchu』で当時は一般的だった連続活劇で全15編30巻の構成、この作品は日本でも「倫敦の秘密」の題名で1924(大正13)年6月18日に神戸の朝日館で公開された(これがフー・マンチュー博士の日本初公開になる)。主演はフー・マンチュー役が、H・エイガー・ライアンズ(Harry Agar Lyons)でネイランド・スミスがフレッド・ポール、ピートリー医師がH・ヒューバーストーン・ライトであった[7]。またライアンズは翌年の「The Further Mysteries of Fu Manchu」でも主演を務めている。

映画ではフー・マンチュー博士の設定は大まかに分けて2通りあり、「元は温厚な人間だったが家族を義和団の乱で白人たちに殺され、白人全体を標的にした復讐者(1929年『フーマンチュウ博士の秘密』など)」と「我こそがジンギスカンの再来として欧州支配に燃える民族主義的な持ち主(1932年の『成吉思汗の仮面』など)」が存在し、1930年代の映画は大抵このどちらかの設定であった[8]

アメリカのパラマウント社よりワーナー・オーランドがフー・マンチューを演じる3本のトーキー映画が製作される。

「The Mysterious Dr. Fu Manchu(邦題:フーマンチュウ博士の秘密)」 (1929)

「The Return of Dr. Fu Manchu(邦題:続フーマンチュー博士)」 (1930)

「Daughter of the Dragon(邦題:龍の娘)」 (1931)

1・2作目の主要人物のキャスティングは同じだが、3番目の『龍の娘』のみオーランド以外入れ替えられ、探偵役が原作のネイランド・スミスではなく、「アー・キー」というスコットランド・ヤードに非公式勤務の中国人青年に変更されており、早川雪洲が演じている(ピートリー医師は登場するが役者変更)[9]。主演のオーランドは、1931年のミュージカル「パラマウント・オン・パレード」でも、名探偵ファイロ・ヴァンスシャーロック・ホームズを殺害する悪魔博士(=フー・マンチュー)の役を演じている。

1932年にはメトロ・ゴールドウィン・メーヤー(MGM)からボリス・カーロフマーナ・ロイが主演した「The Mask of Fu Manchu(邦題:成吉思汗の仮面)」が製作された[9]


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