フーズ・ネクスト
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『フーズ・ネクスト』
ザ・フースタジオ・アルバム
リリース1971年8月25日(UK)
1971年8月14日(US)
録音1971年4月 ニューベリー、スターグローヴス[1]
1971年4月-6月 ロンドン、オリンピック・スタジオ[2]
ジャンルハード・ロック
時間43:38
レーベルTrack, Polydor
Decca, MCA
プロデュースザ・フー、グリン・ジョンズ
専門評論家によるレビュー
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ザ・フー アルバム 年表

ライヴ・アット・リーズ
(1970年)フーズ・ネクスト
(1971年)ミーティ・ビーティ・ビッグ・アンド・バウンシィ
(1971年)

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フーズ・ネクスト(Who's Next)は、1971年に発表されたイギリスロックバンドザ・フーの5作目にあたるオリジナルアルバム。全英1位[3]・全米4位[4]を記録。『これが最高!(Critic's Choice Top 200 Albums)』(1979年 クイックフォックス社)英米編では19位、ローリングストーン誌の大規模なアンケートによる『オールタイム・ベストアルバム500』では28位にランクイン[5]
概要

オリジナルアルバムとしては1969年の『トミー』以来2年ぶり。バンドにとって初のチャート1位獲得作品であり、『トミー』と本作の成功により、ザ・フーの人気は決定的なものとなった。

本作は前年1970年に発表したザ・フー初のライブアルバムライヴ・アット・リーズ』で聴かせたバンドのヘヴィなサウンドをスタジオで再現させ、ハード・ロックの一つの極地に達したとして高い評価を得た[6]。さらに、本作では初めてシンセサイザーシーケンサーを導入し、プログレッシブなサウンドを取り入れた。「ババ・オライリィ」や「無法の世界」といった楽曲ではその成果がよく表れている。一方で「ラヴ・エイント・フォー・キーピング」や「ゴーイング・モービル」のような1971年当時流行していたサザン・ロックの香りのする楽曲も取り入れ、色彩豊かな内容となっている[7]録音に使用されたものと同型のグレッチ6120

録音は1971年4月からバークシャー州ニューベリーにあるミック・ジャガー所有の別荘、スターグローヴス[1]モービル・ユニットで始められ、その後ロンドンオリンピック・スタジオに移動し、6月まで行われた[2]。共同プロデューサーとしてレコーディング・エンジニアグリン・ジョンズの名がクレジットされている。本作でピート・タウンゼントは、ジョー・ウォルシュマウンテンレスリー・ウェストからプレゼントされたグレッチの6120とギブソン・レスポール・ジュニアをメインに使用している[1]。本作からは「無法の世界」、「ビハインド・ブルー・アイズ」(アメリカのみ)がシングルカットされ、「無法の世界」は全英9位にまで上った[8]。また、「ババ・オライリィ」がオランダなど欧洲数カ国でシングルカットされている。
経緯

当初、『トミー』に続くロック・オペラ第2弾「ライフハウス」として発表されるはずだった。タウンゼントの構想では、「ライフハウス」は単なるスタジオアルバムに留まらない、オペラ、演劇、全てを包括した、いわば「聴衆参加型ロック」という壮大なプロジェクトになる予定だった。楽曲製作は1970年からスタートしており、楽曲のいくつかはすでに当時のライブでも演奏されていた。1971年1月の製作発表で、タウンゼントは本作が映画、劇場、アルバムがクロスオーバーした多角的な作品になる事を予告しており、『トミー』以来の新作に大いなる期待を集めた。

だが、頼みの綱だったマネージャーのキット・ランバートが「ライフハウス」に興味を示さなかった事、さらにタウンゼントの書いた脚本があまりにも難解で、他のメンバーが内容を理解できなかった事が仇となり、計画は早くも暗礁に乗り上げた。3月にはランバートの呼びかけでニューヨークレコード・プラントでレコーディングを行うも、当時ランバートはヘロイン中毒に陥っており、レコーディングは早いうちに打ち切られた。ロンドンに戻った後、ミキシングのために呼び出されたグリン・ジョンズが、「ライフハウス」のコンセプトを破棄して一から製作し直す事を進言、タウンゼント以外のメンバーがそれに賛同した。この時点から、本作は「コンセプトを持った曲によるノン・コンセプト・アルバム」として製作される事になった。4月には予定していたロンドンのヤング・ヴィック・シアターでの「ライフハウス・コンサート」を行うが、この時点になるともはやタウンゼントも「ライフハウス」への情熱を失っていた[2]

『フーズ・ネクスト』に収録された楽曲は、ジョン・エントウィッスルが書いた「マイ・ワイフ」を除き、すべて「ライフハウス」用に書き下ろした曲であった。当初は2枚組としてリリースする予定が、結局9曲のみに絞られ、選考から漏れた曲はタウンゼントのソロ・アルバムや『オッズ&ソッズ』等の編集アルバムに回される事になった。タウンゼントは妥協と挫折の副産物であった本作を、当初はとても嫌っていた[9]が、後に「俺の頭が最も冴えて、最も能力に満ちていた時期だった」[10]と自認するほど当時の彼らのクリエイティブネスは頂点を極めており、本作はザ・フー史上最高傑作という評価を得るまでになった。反面、タウンゼントは「ライフハウス」制作頓挫が響いたせいなのか、このアルバムを「クソだ!本当に嫌いだよ」と延べている。

『フーズ・ネクスト』発表後もタウンゼントは「ライフハウス」にこだわり続け、楽曲製作を続けた。そして1999年12月にBBCラジオ3で放送されたラジオドラマ、及びそれを収録したCDボックス『ライフハウス・クロニクルズ』の発表で一応の完成を見た。[11]
アルバムジャケットについて

ジャケット撮影はイーサン・ラッセルによるもので、イギリスダラム州にあるイージントン炭鉱(Easington Colliery)の鉱石廃棄場で、聳え立つコンクリート壁にメンバー4人が放尿した後、ズボンのファスナーを上げているところが写されている。当初は股を広げた巨漢の女性の性器をメンバーの笑顔で隠すというもっと下品な案があったという。なおジャケット写真の空模様は、没案になった写真を使用して合成したものである[12]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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