フロギストン説(フロギストンせつ、英: phlogiston theory [flo??d??st?n, fl?-]、独: Phlogistontheorie [?flo???st?n-]
)とは、『「燃焼」はフロギストンという物質の放出の過程である』という科学史上の一つの考え方である。フロギストンは燃素(ねんそ)と和訳される事があり、「燃素説」とも呼ばれる。この説そのものは決して非科学な考察から生まれたものでなく、その当時知られていた科学的知見を元に提唱された学説であるが、後により現象を有効に説明する酸素説が提唱されたことで、忘れ去られていった。フロギストン説によれば、物質はフロギストンと灰が結合したものである。そして、物を燃焼させると、物質からフロギストンが放出され、灰が残る。たとえば金属の場合、
金属 → 金属灰 + フロギストン
である。この反応で生成された金属灰にはフロギストンはもはや含まれていないので、これを燃焼させることはできない。
金属の代わりに木炭を燃焼させた場合も同様に
木炭 → 灰 + フロギストン
となるが、実際に木炭を燃焼させるとほとんど灰が残らない。すなわち木炭にはその分フロギストンが大量に含まれているといえる。逆に金は熱を加えても燃焼せず、金属灰とはならないので、金にはフロギストンはほとんど含まれていないといえる[1]。
木炭を金属灰と一緒に燃焼させると、木炭中に含まれる多量のフロギストンが金属灰へと移動する。そして金属灰はフロギストンと結合し、元の金属となる[2]。
木炭 + 金属灰 → 灰 + 金属
これは金属の還元反応である。すなわち、フロギストン説によれば、物質の還元とは物質とフロギストンが結合することを意味し、逆に酸化とは、物質からフロギストンが失われることを意味する[3]。
歴史
前史ヨハン・ベッヒャー
物が燃える原因として、古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスは、「火の原素」を考えた。この火の原素は、古代ギリシアの自然哲学においては、水・空気・土と並ぶ四大元素の一つと考えられていた。
一方、パラケルススは、中世アラビアの錬金術師によって作り上げられていた理論を発展させ、「硫黄」「水銀」「塩」の三原理を作り上げた[4]。ただしここでの硫黄・水銀・塩とは、現在知られている硫黄原子、水銀原子、塩化ナトリウムとは異なる概念である。パラケルススは、これらが燃焼すると、「硫黄」は消滅し、「水銀」は蒸発し、「塩」は灰として残ると考えた[5]。
1669年、ドイツ人科学者のヨハン・ベッヒャー (Johann Joachim Becher, 1635-82) は、この四大元素説と三原理説を受けて、すべての物質は空気、水、そして三つの「土」から成るという説を発表した[4]。三つの土とは「溶ける石 (lapis fusilis) あるいは石の土」、「脂肪土 (terra pinguis) または燃える土」、「流動土 (fluida terra)」であり、これらはほぼパラケルススの三原理の塩・硫黄・水銀にそれぞれ対応する[6]。そしてベッヒャーは、このうちの「燃える土」という元素が燃焼性を司るものであると提唱した。ベッヒャーによれば、これはあらゆる可燃性物質の中に含まれ、燃焼はこの「燃える土」が他の物質と分離する現象であると説明される。また、燃焼後に残る灰は「流動土」であり、加熱した時に物体が溶融するのは「石の土」の影響によるものである[4]。このベッヒャーの説は、その後に発展するフロギストン説の起源とされている[7]。
シュタールによるフロギストン説の確立ゲオルク・エルンスト・シュタール
ドイツの医師ゲオルク・エルンスト・シュタールは1697年の著書『化学の基礎』で、当時すでに忘れ去られかけていたベッヒャーの説に着目した[8]。そして、ベッヒャーの「燃える土」を元に、燃焼をつかさどる元素としてフロギストン(phlogiston)という名称を与えた。これはギリシャ語の「燃える」という単語に由来する[9]。シュタールはその後の著書においてもこのフロギストン説を取り上げ、金属は灰とフロギストンが結合した状態であること、木炭と金属灰を燃焼させることによって木炭のフロギストンが金属灰へと移ることなど、フロギストン説に基づく理論を展開していった。
さらにシュタールは、フロギストンに関して、
フロギストンは火によって破壊されない。
フロギストンの色には硫黄が含まれる。
フロギストンには植物性香料の香りがある。
フロギストンは植物と強く結びつく。結びついた例として、植物油やアルコールがある。
などといった性質をもっていると定義した[10]。
シュタールの説には発表当時賛否両論あった。オランダの医師であるヘルマン・ブールハーフェはこの説に否定的な見解をとった。フロギストン説によれば、物が炎を出して燃えることと、鉄などが錆びることは、どちらも同じ「フロギストンの放出」という現象で説明されるが、ブールハーフェはそれに違和感をもったのである。これに対しシュタールは、通常の燃焼と金属の錆びつきの見た目が異なる理由として、燃焼はフロギストンが勢いよく物体から離れるためそれが炎となって見え、錆びつきはフロギストンがゆっくりと離れるため炎が見えないと説明した[11]。 フロギストン説はシュタール死後の1750年代以降になると、科学界に広く受け入れられるようになった[12]。ただし、当時からフロギストン説では一見説明がつきにくい現象が知られていた。それは、金属を燃焼させると、その金属の質量が増すという現象である。この現象は16世紀の時点ですでに確認されており、1630年にはフランスのジャン・レー(en:Jean Rey (physician)
フロギストンと質量
これを説明するため、ボイルは、発生した熱の一部が金属に付着するため重くなるのではないかと考えた[15]。シュタールは、「フロギストンが抜けた分だけ金属が濃縮するので重くなる」あるいは「フロギストンが放出された分だけ空気が金属に入り込む」と考えた[16]。さらにシュタールの死後には、「フロギストンは負の質量をもっている」という考えが主流になった[16]。負の質量を考えた科学者として、ユンカー(Johann Juncker)らがいる[17]。 ヘンリー・キャヴェンディッシュは、亜鉛や鉄、スズなどの金属と、塩酸や硫酸などの酸が反応した時に出る気体に関して研究を行い、1766年に論文として発表した[18]。そして、この気体は空気の10分の1以下の密度しかない、非常に軽いものであること、さらに、この気体は非常に燃えやすい性質をもっていることを明らかにした。そのため、フロギストン説を支持していたキャヴェンディッシュは、この気体こそがフロギストンではないかと考えた[19]。現在ではこの気体は水素として知られている。 英国(スコットランド地方)のジョゼフ・ブラックは、1752年から1755年にかけて行った炭酸カルシウムに熱を加える実験から、二酸化炭素を発見した(ブラックはこれを「固定空気」と呼んだ)[20]。そして、密閉した空間内でろうそくを燃やすと、二酸化炭素の発生によりろうそくの火はやがて消えてしまうことを確かめた。そこでブラックは、この空間内の二酸化炭素を化学薬品で吸収し、二酸化炭素のない状態にしたところで、燃焼が可能かどうか確かめた。結果、燃焼は起こらなかった[21]。 ブラックからこの研究を引き継いだダニエル・ラザフォードは、まず密閉された空間内にネズミを閉じ込め、ネズミが死ぬまで放置した。
キャヴェンディッシュによるフロギストンの発見
フロギストン空気の発見「フロギストン空気」を発見したダニエル・ラザフォード