フレデリク3世_(デンマーク王)
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フレデリク3世(フレゼリク3世)
Frederik 3.
デンマーク王
ノルウェー王

在位1648年2月28日 - 1670年2月19日

出生1609年3月18日
スレースヴィ公国、ハザスレウ(英語版)
死去 (1670-02-19) 1670年2月19日(60歳没)
デンマーク=ノルウェーコペンハーゲン、コペンハーゲン城(英語版)
埋葬 
デンマーク=ノルウェーロスキレロスキレ大聖堂
配偶者ゾフィー・アマーリエ・フォン・ブラウンシュヴァイク=カレンベルク
子女一覧参照

クリスチャン5世
アンナ・ソフィー
フレゼリゲ・アメーリエ
ヴィルヘルミーネ・アーネスティーネ
ヨアン
ウルリゲ・エレオノーラ

王家オルデンブルク家
王朝オルデンブルク朝
父親クリスチャン4世
母親アンナ・カタリーナ・フォン・ブランデンブルク
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フレデリク3世(Frederik III、1609年3月18日 - 1670年2月19日)は、デンマーク=ノルウェーの王(在位:1648年 - 1670年)。外交ではスウェーデンとの戦争で苦戦を強いられ、領土の割譲を余儀なくされたが、内政では国民の人気を背景にデンマークに絶対主義をもたらした。フレゼリク3世あるいはフレデリック3世とも。
目次

1 生涯

1.1 即位以前

1.2 スウェーデンとの戦争と敗北

1.3 コペンハーゲン包囲

1.4 絶対王政


2 子女

3 脚注

4 参考文献

5 関連項目

生涯
即位以前

デンマークとノルウェーの王クリスチャン4世と、ブランデンブルク選帝侯ヨアヒム・フリードリヒの娘アンナ・カタリーナの息子として、シュレースヴィヒ公国のハーデルスレウで誕生した。長男ではなかったことが、将来に深く影響することとなる。

少年期から青年期にかけて、フレデリクにはデンマーク王位に就く見込みはまったくなく、父王のドイツにおける勢力拡大手段として利用されることになる。まだ少年の時にブレーメン司教フェルデン司教、そしてハルバーシュタットの司教補に次々に就任する。18歳の時にはシュターデ要塞の主任司令官となった。従って、早い時期から行政官として相当の経験を積んでおり、同時にその教養教育においても、入念かつ徹底的な教育が行われた。フレデリクはその人生において、常々文学と科学の愛好をはっきりと表明している。

1643年10月1日カレンベルク侯ゲオルクの娘で又従妹にあたるゾフィー・アマーリエと結婚する。彼女のエネルギッシュで情熱的かつ野心的な性格はフレデリクの運命だけでなく、デンマークの運命に深く影響を及ぼすことになる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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