フルヘンシオ・バティスタ
Fulgencio Batista y Zaldivar
1938年
キューバ共和国
第12代 大統領
任期1952年3月10日 – 1959年1月1日
キューバ共和国
第9代 大統領
任期1940年10月10日 – 1944年10月10日
出生1901年1月16日
アメリカ軍政下キューバ、バネス
死去 (1973-08-06) 1973年8月6日(72歳没)
スペイン、マルベーリャ
政党単一行動党、保守党など
フルヘンシオ・バティスタ・イ・サルディバル(Fulgencio Batista y Zaldivar, 1901年1月16日 - 1973年8月6日)は、キューバの軍人、政治家。大統領(1940年 - 1944年、1952年 - 1959年)。親米政権を樹立したのち独裁を敷いたが、キューバ革命によって失脚し、国外へ亡命した。 1901年、米西戦争の結果アメリカの軍政下に置かれていたキューバのバネス
来歴
生い立ち
軍歴」をリードした。バティスタのクーデターは臨時政府を倒し、ラモン・グラウ・サンマルティンが1933年9月10日大統領に就任した。バティスタは入閣を要請されたがそれを固辞し軍参謀総長になった。
グラウは翌年の1月16日に辞任し、1月17日にマヌエル・マルゲス・スターリング・イ・ギラルが大統領に就任するが、1月19日にカルロス・メンディエタ・モンテフールが臨時大統領に就任。メンディエタは1935年12月11日に退陣し、ホセ・バルネ・イ・ビネヘラスが臨時大統領となる。
入閣が大統領に就任、同内閣でバティスタは国防相兼軍総司令官に就任し、政権の実権を握った。バティスタの横暴にゴメスは拒否権を発動したが、逆にバティスタによる議会動員で罷免され、フェルデシオ・ラレード・ブル副大統領が大統領に昇格した。
1938年になるとバティスタは共産党を合法化し、対立するキューバ真正革命党に対する共闘路線を結ぶ。1939年11月には憲法制定議会選挙が行われるが、バティスタの率いる自由党は共産党と連合するも真正革命党を主とする野党連合に大差で敗北する。
大統領就任演説を行うバティスタモンカダ兵営で逮捕されたカストロ
1940年2月の第一回議会では、第一党の真正革命党はグラウを議長に推すが、バティスタの裏工作でマルケス・スターリングが議長に就任した。7月には新憲法が公布、総選挙が行われる。バティスタがグラウを抑え大統領に当選した。
10月にバティスタは大統領に就任する。しかし第二次世界大戦中の1944年に行われた総選挙では、バティスタの推すカルロス・サラドリガスがグラウに敗北する。これを受けてバティスタはアメリカ合衆国のフロリダに逃亡した。