フルトン郡_(ジョージア州)
[Wikipedia|▼Menu]

ジョージア州フルトン郡
アトランタの夜景
郡のジョージア州内の位置
州のアメリカ合衆国内の位置
設立1853年12月20日
郡庁所在地アトランタ
最大都市アトランタ
面積
 - 総面積
 - 陸
 - 水
1,385 km2 (534.61 mi2)
1,369 km2 (528.66 mi2)
15 km2 (5.95 mi2), 1.11%
人口
 - (2020年)
 - 密度
1,066,710人
779人/km2 (2,018人/mi2)
標準時東部: UTC-5/-4
ウェブサイト ⇒www.fultoncountyga.gov

フルトン郡(: Fulton County)は、アメリカ合衆国ジョージア州の北西部に位置するである。2020年国勢調査での人口は1,066,710人であり、2010年の920,581人から15.9%増加した[1]郡庁所在地は1868年から州都でもあるアトランタ市(人口498,715人[2])であり、同郡で人口最大の都市でもある。アトランタ市域の90%が郡内にあり、残り10%は東隣のディカーブ郡に入っている。

フルトン郡はアトランタ都市圏(正確にはアトランタ・サンディスプリングス・アルファレッタ大都市統計地域)に属しており、その中核となる5郡の1つである。
歴史

フルトン郡は1853年にディカーブ郡の西半分から創設された。

南北戦争アトランタ方面作戦のとき、ウィリアム・シャーマン将軍の海への進軍が行われたが、シャーマンの従弟が住んでいたロスウェルだけは破壊を免れた。その結果、ロスウェル市にはジョージア州のどこよりも南北戦争前の建物が残っている。

郡名は、1807年に最初の蒸気船を建造した発明家ロバート・フルトンに帰せられることが多い。この仮定は、その蒸気機関がアトランタを建設した蒸気機関車の先例であるからという可能性がある。ある研究に拠れば、ウェスタン・アンド・アトランティック鉄道の測量士ハミルトン・フルトンに因むという説を出している[3]。それでも、郡はロバート・フルトンに因むという説を主張している[4]

世界恐慌にあった1932年の初め、フルトン郡の北にあったミルトン郡と南西にあったキャンベル郡を、費用節減の策としてフルトン郡に吸収することを決めた。このことで、郡の形はチャタフーチー川に添った80マイル (130 km) という細長いものになった。同年5月9日、隣接するコブ郡からロスウェル市とウィレオ・クリークより東の地域が譲渡された。これはコブ郡がミルトン郡から譲渡された地域とより一体の形になるためだった。
郡政府

フルトン郡は7人の委員で構成される郡政委員会が統治しており、委員の任期は4年間である。最近の選挙は2010年11月に行われた。この委員会が指名する郡管理官が日々の運営の管理を行う体制を採っている。委員会議長は郡全体を選挙区に選ばれている。副議長は毎年委員の互選で選ばれている。
施策

郡民に対するサービスの予算は12億米ドルである。アトランタ・フルトン公共図書館システムには34の支所があり、州内でも最大の体系である。ヒューマン・サービスではアトランタ大都市圏に最強クラスの高齢者センター・ネットワークがあり、多目的高齢者施設4か所などが含まれている。また非営利のフレッシュとヒューマン・サービスには資金供与予算も組み込まれている。
政治

フルトン郡での大統領選挙の結果年民主党共和党その他
2012年64.31% 255,47034.52% 137,1241.17% 4,661
2008年67.06% 272,00032.08% 130,1360.86% 3,489
2004年59.28% 199,43639.94% 134,3720.77% 2,599
2000年59.76% 152,03939.84% 104,8702.39% 6,303
1996年58.9% 143,30639.6% 89,8094.2% 10,053
1992年57.3% 147,45933.2% 85,4519.6% 24,499
1988年56.2% 120,75242.8% 91,7851.0% 2,152
1984年56.9% 125,56743.1% 95,1490.0% 0
1980年61.6% 118,74833.7% 64,9094.7% 9,066
1976年67.8% 129,84932.2% 61,5520.0% 0
1972年43.6% 74,32956.4% 96,2560.0% 0
1968年43.5% 77,84735.8% 64,15320.7% 37,068
1964年56.1% 93,54043.9% 73,2050.0% 11
1960年50.8% 55,80349.2% 53,9400.0% 0

アトランタ市がフルトン郡最大の都市であり、郡の中央を細長く占めているので、地理的に郡を南北に分けている。最後に他の町を併合したのは1952年のことであり、裕福な郊外部のバックヘッドなど面積が118平方マイル (310 km2) 増加し、ある意味で市内白人有権者の多数を維持する効果があった。

1970年代にサンディスプリングス市を創設する運動は2005年に結実しており、これはこれ以上アトランタ市に併合されるのを防ぎ、郡政委員会からの地方支配を取り戻すことだった。

郡の北部と南部は互いに離れており、税の徴収やサービスの配分にしても互いに異なる様相を示してきた。北部の裕福な地域住人は、郡政委員会が彼らのニーズを無視し、北部で集めた税金を南部で使っていると苦情を言うようになった。2005年、ジョージア州議会は、数ある州内の郡の中でただ1つフルトン郡に、地理的な地域で集めた税金をその地域で使うように指示した。フルトン郡はこの「シェイファー修正条項」(ダルース出身のジョージア州選出アメリカ合衆国上院議員デイビッド・シェイファー(共和党)に因む)と呼ばれる法に異議申し立てを行い、その訴訟はジョージア州最高裁判所まで持ち込まれた。2006年6月19日、裁判所はシェイファー修正条項の合法性を支持する判決を出した。

サンディスプリングス市を設立したことで、郡北部にさらに2つの完全な自治体を生むことになった。このドミノ効果で郡南部の住人は別の都市を生むための住民投票に動いた。2回行われた住民投票の1つが成立したが、もう1つは否決された。

郡内の消費税は7%であり、この中には州の分4%、特殊目的加算1%、家産差し押さえ免除分1%、アトランタ・マルタ建設分1%が含まれている。消費税は全郡と都市に適用されるが、アトランタ市の水道、下水道の改善(上下水道と雨水放流管を別に敷設するもの)資金に振り向けられる特殊目的税は例外である[5]。フルトン郡は8年間で一般予算課税率を26%下げてきた。優れた信用格付けを持つ国内でも最も財政的に保守的な郡である[6]
自治体化の推進

1970年代以降、サンディスプリングス市住人は独自の法人化を行うために長い間戦ってきた。その動きは何度もアトランタの民主党に阻止されたが、2002年と2004年の選挙で州政府の支配力が郊外型共和党に移ったことにより、市創設の運動がその機を掴んだ。

州議会は2005年に市の創設を認め、現存する市から3マイル (4.8 km) 以内に都市を設立することを禁じていた既存州法を停止した。都市が州内で認められる自治体の唯一の形態である。サンディスプリングス市住人は2005年6月21日に行われた住民投票で、94%が賛成して市憲章を批准した。新市は同年12月1日深夜に公式に法人化された。

サンディスプリングス市の創設により、全郡の自治体化に拍車が掛けられ、全地域を市に法人化する試みとなった。このことは実質的に未編入領域で自治体としてふるまう郡の自治権を排除することになり(州全体では1960年代のジョージア州憲法修正で認められた)、全体が州政府の直轄となる状態に戻すことだった。

2006年、州議会は新市、ミルトンとジョンズクリークの創設を承認し、郡北部は完全に自治体化された。2つの新市の憲章は、2006年7月18日の住民投票で圧倒的多数で批准された。

郡南西部のチャタフーチーヒルズ(カスケード・パルメット・ハイウェイの西側)の有権者は2007年6月に法人化を圧倒的多数で承認した。この市は2007年12月1日に法人化された。

州議会はサウスフルトンと呼ばれる新市を作る提案も承認した。その市域は2007年7月1日時点で未編入領域を含んでいた。この市ができると、既存の多くの市に拡張余地が無くなることから併合を提案したので、幾つかのコミュニティは法人化案を取り下げた[7]

提案されていたサウスフルトン領域の有権者は2007年9月の住民投票で、圧倒的にその案を否決したが、再度の住民投票で市設立が可決され、2017年に新市が設立された。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:69 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef