フリー_(ミュージシャン)
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Flea
ベースを演奏するフリー
基本情報
出生名Michael Peter Balzary
生誕 (1962-10-16) 1962年10月16日(61歳)
バーウッドメルボルンオーストラリア
出身地ロサンゼルスカリフォルニア州アメリカ
ジャンルオルタナティヴ・ロック
ファンク
パンク・ロック
ハードコア・パンク
ジャズ
ポスト・ロック
ミクスチャー・ロック
担当楽器ベース
ギター
ピアノ
キーボード
トランペット
活動期間1983年 -
レーベルワーナー・ブラザース・レコード
EMI
共同作業者レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
マーズ・ヴォルタ
アトムス・フォー・ピース
公式サイトredhotchilipeppers.com

フリー(Flea)ことマイケル・ピーター・バルザリー(Michael Peter Balzary、1962年10月16日 - )は、オーストラリアメルボルン郊外バーウッド出身のベーシスト俳優レッド・ホット・チリ・ペッパーズのオリジナル・メンバーの1人。
概説

身長168cmと小柄だが、左手の握力は120ポンド(一説では160ポンド(およそ72kg)以上)あると言われている。ベースの技量は非常に高く、AllMusicにおいて「史上最も才能豊かなロックベーシストの一人」と評されている。速さと音圧を重視した独特のスラップ奏法や、デビュー当時は「狂気とも取れるエネルギーの爆発」と批評されたクレイジーで激しいステージングは、彼の代名詞となっている。またそのユーモア溢れるキャラクターも人気が高く、彼をリスペクトするベーシストは数え切れない。

フリー(Flea)とはノミの事であり、跳ねまくる彼のパフォーマンスに由来している。

2009年、全米最大の楽器ショウと呼ばれるNAMMに於いて、自身のプロデュースによるブランドである"Flea Bass"を発表した。「沢山のキッズに音楽に触れてほしい」との本人の意向を踏まえ、初心者にも求めやすい低価格と、音質の良さを求めたブランドとして注目されている。34インチ(ロングスケール)と30インチ(ショートスケール)が製品ラインナップに挙がっている。
人物

学生時代は、いじめられっ子で暗い
性格だったが、アンソニーなどのおかげで、今の明るい性格となった。

元々、ジャズに関心があり、学生時代は吹奏楽部でトランペットを演奏していた。ブラックミュージックにも造詣が深く、「音楽はソウルフルか、そうでないゴミかに分かれるんだ」(1990年クロスビート誌)と語っている。2006年のローリング・ストーン誌では、ジョン・フルシアンテと共に、オールタイム・ベスト・ミュージシャンを尋ねられた際、ボブ・マーリィチャールズ・ミンガスを挙げている。同時に、アンソニーやヒレル・スロヴァクからの影響を受けて聴き始めたパンク・ロックとのマッチングで、自分のベーシストとしてのスタイルが築かれた、と語っている。近年、「いつかは自分のすべてを出し切った、ジャズ・フュージョンアルバムを作ってみたい」と発言している(Q誌他、日本ではベースマガジン他)。音楽の理解を深めるため、2008年に南カリフォルニア大学の音楽学部に入学し、音楽理論作曲、そしてジャズ・トランペットを学ぶ。

最も好きなロック・アルバムは、ザ・クラッシュの『サンディニスタ!』。

ライブでの破天荒なパフォーマンスなどから無法者と誤解されがちだが、実際は非常に紳士的な人物。そのため、フロントマンのアンソニー以上に、チリ・ペッパーズのスポークスマン的役割として、よく取材を受けている。ウッドストック 1999などのライヴ中に機嫌を悪くし、途中で帰ろうとするアンソニーやジョンを説得したのも、フリーである。

リヴァー・フェニックスとは、親友の間柄であった。彼がドラッグ中毒で死亡した際に、救急車に同乗したのはフリーだった。カート・コバーンとも仲が良く、度々ニルヴァーナのライブに特別ゲストとして招待されていた。その場合フリーは、大抵カートのギターに合わせてトランペットを吹いた。2008年にメタリカのロサンゼルス公演にゲスト出演し「Fight Fire with Fire」をセッション、翌年にメタリカがロックの殿堂入りを果たした際の授賞式では、プレゼンターを務めた。カーク・ハメットからは、「クールだよ。彼はヘヴィメタル・バンドにいるわけじゃないけど、リスペクトされるミュージシャンだからね」と評している。

略歴
幼少期

マイケル・ピーター・バルザリー(以下、フリー)は、オーストラリアの平凡な家庭で育った。しかし、実父の仕事の都合でニューヨークに転居して、4年後の1972年、母がジャズミュージシャンと恋に落ち、両親は離婚してしまう。母は、そのミュージシャンと再婚し、実母と継父・実姉の4人で、ロサンゼルスへ居を移した。

フリーは、幼い頃から音楽に熱中しており、ドラムを叩いていた。父もまた、週末毎にジャム・セッションを行う生活で、フリーもそのような音楽に囲まれた環境で育っていった。そうした中、9歳の頃に吹き始めたトランペットはあっという間に上達して行き、Los Angeles Junior Philharmonic Orchestra に所属すると共に、11歳になる頃には、父とジャムセッションが出来るほどの腕前になっていた。

高校生になるまでは、ロックには全く興味が無く、ただ、父のようなジャズ・ミュージシャンになりたがっていた。
高校時代

幼少期をオーストラリアで過ごしたフリーは訛りが抜けず、ロサンゼルスのフェアファックス高校時代は、それが原因で同級生からいじめを受けていたが、その中でアンソニー・キーディスヒレル・スロヴァクと親友になり、音楽的な繋がりはもちろん、麻薬パーティなども行うようになっていった。その一方で、トランペットの腕前は上がって行き、Fairfax School Orchestra では、首席トランペットを務めるまでになっていた。

やがて、スロヴァクからロックミュージックを教えられると、だんだんとレッド・ツェッペリンキッスクイーンジミ・ヘンドリックスらへ関心は移っていった。そして、スロヴァクとジャック・アイアンズが在籍していたバンド Anthym は、バンドに引き入れるための素養のあるベーシストを育てるべく、フリーをバンドに誘った。ベースの腕は、スロヴァクらの指導と天性の音楽的才能ですぐに上達していった。これにより、音楽性の上がった Anthym は名を上げていき、クラブ・ツアーをするようになっていった。
ミュージシャンとして

やがて、そのテクニックからベーシストとして名を馳せるようになり、パンク・ロック・バンド、フィアのオーディションを1981年に受けてメンバーになった。また、ジョン・ライドンの勧誘でパブリック・イメージ・リミテッドとジャムを行うが、こちらのバンドは加入を断った。


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