Freeman Dyson
フリーマン・ダイソン
フリーマン・ダイソン (2005)
生誕Freeman John Dyson
(1923-12-15) 1923年12月15日
イギリス バークシャー
死没2020年2月28日(2020-02-28)(96歳)
アメリカ合衆国 プリンストン
国籍 アメリカ合衆国
研究機関イギリス空軍
プリンストン高等研究所
バーミンガム大学
コーネル大学
出身校ケンブリッジ大学
コーネル大学
指導教員ハンス・ベーテ
主な業績ランダム行列
オリオン計画
TRIGA
影響を
受けた人物リチャード・P・ファインマン
主な受賞歴ローレンツメダル(1966)
マックス・プランク・メダル(1969)
ウルフ賞物理学部門(1981)
公式サイト
⇒www.sns.ias.edu/dyson
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フリーマン・ジョン・ダイソン(Freeman John Dyson、1923年12月15日 - 2020年2月28日)は、イギリス・バークシャー生まれのアメリカ合衆国の理論物理学者・宇宙物理学者・サイエンスライター。ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ卒業、プリンストン高等研究所名誉教授[1]。
若くしてダイソン方程式を発表、量子電磁力学の完成に大きな寄与をなした。宇宙分野では恒星の全エネルギーを利用する「ダイソン球」や、彗星を覆う巨大植物「ダイソン・ツリー」、遺伝子工学によって育てられた宇宙船「宇宙の鶏(アストロチキン)」、惑星・恒星をも移動させる装置を考案するなど、気宇壮大なアイデアを連発し、SFにも多大な影響を与えた。原子力発電の研究にも携わっている[2]。
数学に関わる分野でもいくつかの注目すべき仕事がある。ランダム行列の研究が最も重要だが、これは後にリーマン予想の研究を活発化させる契機にもなった。1996年に証明された、「全ての偶数は高々6個の素数の和で表せる」というオリヴィエ・ラマレの定理も、フリーマンが発見した補題が重要である。
日本のドキュメンタリー映画『地球交響曲第三番』に出演している。大江健三郎とも親交があった。 ジョージ・ダイソン(George Dyson)を父として、バークシャーのクロウソーン(Crowthorne
経歴
生い立ちと幼少期
父親のジョージ(1883年5月28日 - 1964年9月28日)は、英国の王立音楽大学(RCM、Royal College of Music)の学長もつとめた人物で、作曲家でオルガン奏者であり、独唱、合唱、オーケストラのための「カンタベリー巡礼」、「聖パウロのメリタへの旅」などの作品がある。母親は法学部卒の女性で、フリーマンの誕生後ソーシャルワーカーの仕事をし、後に弁護士となる。
フリーマンは幼少期から数学的才能を発揮し、百科事典相手に計算を行った。また、一般天文書「すばらしき天空」、ジュール・ヴェルヌの空想科学小説に熱中。9歳にして「小惑星エロスが10年後に月と衝突することを突き止めた天文学者たちが月へ観測隊を送ろうとする」というSF小説『サー・フィリップ・ロバーツのエロルーナー衝突』を書いている(ただし未完。『ガイアの素顔』に収録)。これは父親の友人で天文学者のフランク・ダイソン(血縁関係はない)の影響があったようである。 1936年から1941年まで、父親が音楽を担当するWinchester College
学業
15歳時、微分方程式が科学において重要な事を知り、図書目録を見てダーウィンの「ビーグル号航海記」を見つけるも手持ちの所持金では足りず、辛うじて購入できる金額だった「微分方程式」(H・T・H・ピアジオ著)を購入[3][4]、クリスマス休暇を使って毎日朝6時から夜10時まで連続で700題を順に解いて過ごし、I・M・ヴィノグラドフ
(英語版)の数論の古典[5]がロシア語版しか出版されていない事に苛立ち、独学でロシア語を学んで英訳、清書した。