フリーホイーリン・ボブ・ディラン
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『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』
ボブ・ディランスタジオ・アルバム
リリース 1963年5月27日
1963年11月
録音1962年4月24日 - 1963年4月24日
アメリカニューヨーク市
コロムビア・レコーディング・スタジオ
ジャンルフォークブルース
時間50分04秒
レーベルコロムビア
プロデュースジョン・ハモンド
トム・ウィルソン[1][2]
専門評論家によるレビュー


Allmusic link

Entertainment Weekly (A-) ⇒link

Rolling Stone link

チャート最高順位

22位(ビルボード・トップ LP's

1位(全英アルバム・チャート

ゴールドディスク

プラチナ(RIAA

ボブ・ディラン アルバム 年表

ボブ・ディラン
(1962年)フリーホイーリン・ボブ・ディラン
(1963年)時代は変る
1964年


『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』収録のシングル

風に吹かれて / くよくよするなよ
リリース: 1963年8月

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『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』(: The Freewheelin' Bob Dylan)は、1963年にリリースされたボブ・ディラン2作目のスタジオ・アルバム。ディランを一躍有名にした「風に吹かれて」をはじめ、「北国の少女」、「戦争の親玉」、「はげしい雨が降る」、「くよくよするなよ」他を収録している。

ビルボード・トップ LP's チャートで最高22位、全英アルバム・チャートで1位を記録した。RIAAによりプラチナ・ディスクに認定されている。
解説

出世作「風に吹かれて」をはじめ、「戦争の親玉」「第3次世界大戦を語るブルース」などのプロテスト・ソングによって、彼を「フォークの貴公子」として売り出すことに貢献したアルバムである。しかし、そういった時事的問題のみならず、恋愛における内面の矛盾を扱った「くよくよするなよ」や、混沌としたイメージに溢れる「はげしい雨が降る」などもある。

ジャケット写真に一緒に写っているのは、当時のガールフレンドだったスーズ・ロトロ。場所はニュー・ヨークのグリニッジ・ヴィレッジ、ジョーンズ・ストリートが西4番ストリートに突き当たるあたり[3]で、ここから数ヤード離れたアパートに2人は一緒に住んでいた。
収録曲

特記なき楽曲は、作詞・作曲: ボブ・ディラン
Side 1
風に吹かれて - Blowin' in the Wind ? 2:48

北国の少女 - Girl from the North Country ? 3:22

戦争の親玉 - Masters of War ? 4:34

ダウン・ザ・ハイウェイ - Down the Highway ? 3:27

ボブ・ディランのブルース - Bob Dylan's Blues ? 2:23

はげしい雨が降る - A Hard Rain's a-Gonna Fall ? 6:55

くよくよするなよ - Don't Think Twice, It's All Right ? 3:40

Side 2
ボブ・ディランの夢
- Bob Dylan's Dream ? 5:03

オックスフォード・タウン - Oxford Town ? 1:50

第3次世界大戦を語るブルース - Talking World War III Blues ? 6:28

コリーナ、コリーナ - Corrina, Corrina ? 2:44

トラディショナル


ワン・モア・チャンス - Honey, Just Allow Me One More Chance ? 2:01

作詞・作曲: ディラン、ヘンリー・トマス(Henry Thomas)


アイ・シャル・ビー・フリー - I Shall Be Free ? 4:49

パーソネル

ボブ・ディラン - ギターハーモニカキーボードボーカル

ブルース・ラングホーン(Bruce Langhorne) - ギター

ハワード・コリンズ - ギター

レナード・ギャスキン(Leonard Gaskin) - ベース

ジョージ・バーンズ(George Barnes) - ベース

ジーン・ラミー(Gene Ramey) - ダブルベース

ハーブ・ローヴェル(Herb Lovelle) - ドラムス

ディック・ウェルストゥッド(Dick Wellstood) - ピアノ

ジョン・ハモンド - プロデューサー

トム・ウィルソン - プロデューサー(A2、A3、B1、B3)

ナット・ヘントフ - ライナー・ノーツ

ドン・ハンステイン(Don Hunstein) - ジャケット写真

レコーディング・セッション

1961年11月、ディランはジョン・ハモンドのプロデュースのもと20歳でデビュー・アルバムを録音し[4]、12月、西4番ストリートに借りていたアパートで恋人のスーズ・ロトロと一緒に暮らし始める[5][6]1962年1月、音楽出版社リーズ・ミュージック・パブリッシング社の子会社であるダッチェス・ミュージック社と契約[7][8][9][10]。2月、トピカル・ソングを紹介する雑誌『ブロードサイド』誌が創刊された。こうした中でディランは多くの自作曲を作り始める。

レコーディングは、ニューヨークのコロムビア・レコーディング・スタジオにて1962年4月から1963年4月までの1年間に渡り、数回のセッションが断続的に行われた。


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