フリードリヒ2世_(ヘッセン=カッセル方伯)
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フリードリヒ2世
Friedrich II.
ヘッセン=カッセル方伯

在位1760年2月1日 - 1785年10月31日

出生 (1720-08-14) 1720年8月14日
神聖ローマ帝国
ヘッセン=カッセル方伯領カッセル
死去 (1785-10-31) 1785年10月31日(65歳没)
神聖ローマ帝国
ヘッセン=カッセル方伯領、カッセル
配偶者メアリー・オブ・グレート・ブリテン
 フィリッピーネ・フォン・ブランデンブルク=シュヴェート
子女ヴィルヘルム
ヴィルヘルム9世
カール
フリードリヒ
家名ヘッセン=カッセル家
父親ヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム8世
母親ドロテア・ヴィルヘルミーネ・フォン・ザクセン=ツァイツ
宗教キリスト教プロテスタントカトリック
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フリードリヒ2世(Friedrich II., 1720年8月14日 - 1785年10月31日)は、ヘッセン=カッセル方伯(在位:1760年 - 1785年)。
生涯

ヴィルヘルム8世とその妻であったザクセン=ツァイツ公モーリッツ・ヴィルヘルムの公女ドロテア・ヴィルヘルミーネ(1691年 - 1743年)の息子。

1740年イギリス王兼ハノーファー選帝侯ジョージ2世の王女メアリー(1723年 - 1772年)と結婚した(式は5月8日に代理人を介してロンドンで、6月28日に本人が出席してカッセルでそれぞれ行なわれた)。

2人の間には、以下の4子が生まれた。

ヴィルヘルム(1741年12月25日 - 1742年7月1日) - 夭逝

ヴィルヘルム9世(1743年 - 1821年) - ヘッセン=カッセル方伯、後にヘッセン選帝侯(ヴィルヘルム1世)となる

カール(1744年 - 1836年)

フリードリヒ(1747年 - 1837年)

また、1772年にメアリーと死別すると1773年1月10日ベルリンにてブランデンブルク=シュヴェート辺境伯フリードリヒ・ヴィルヘルムの娘フィリッピーネと再婚したが、彼女との間には子供は生まれなかった。

1749年に父と共にケルン大司教クレメンス・アウグスト・フォン・バイエルンを訪ねた際、カトリックに改宗したが、ヘッセン=カッセルの宗教はカルヴァン派にとどめ、自身の子供もプロテスタントとして育てた。

1760年、父の死によってヘッセン=カッセル方伯位を嗣いだ。1775年アメリカ独立戦争が勃発するとフリードリヒ2世はイギリスとの間に傭兵提供条約を結び、これによって莫大な収益をあげた。

1785年にカッセルで死去し、次男ヴィルヘルムがヴィルヘルム9世として方伯位を嗣いだ。
関連項目

アメリカ独立戦争におけるドイツ

先代
ヴィルヘルム8世ヘッセン=カッセル方伯
1760年 - 1785年次代
ヴィルヘルム9世

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