フリードリヒ・メルツ
[Wikipedia|▼Menu]

ドイツ政治家フリードリヒ・メルツFriedrich Merz

生年月日 (1955-11-11) 1955年11月11日(68歳)
出生地 西ドイツブリーロン
出身校ボン大学
所属政党キリスト教民主同盟
サイン
キリスト教民主同盟党首
在任期間2022年1月31日 -
キリスト教民主同盟議員団長
在任期間2000年2月29日 - 2002年9月22日
連邦議会議員
当選回数5回
在任期間1994年11月10日 - 2009年10月27日
2021年10月26日 -
欧州議会議員
当選回数1回
在任期間1989年7月25日 - 1994年7月19日
テンプレートを表示

フリードリヒ・メルツ(ドイツ語: Friedrich Merz、1955年11月11日 ? )は、ドイツ弁護士、経営者、政治家。所属政党はドイツキリスト教民主同盟 (CDU)で2022年1月から党首を務める。2000年から2002年まで、ドイツ連邦議会でCDU議員団長を務めた。
経歴

西ドイツノルトライン=ヴェストファーレン州ブリーロンに生まれる。1975年にアビトゥーアに合格し、兵役を終えた後ボン大学およびマールブルク大学法学を学ぶ。ボン大学ではカトリック系学生団に所属していた。1982年に第一次司法試験に合格。1982年から1985年までザールブリュッケン地方裁判所で試補を務め、第二次司法試験に合格した。1985年から1986年までザールブリュッケン行政裁判所で判事を務め、1986年に弁護士免許を取得して1989年まで化学工業組合で顧問弁護士を務める。

1989年に欧州議会議員選挙に当選し、1994年まで議員を務めた。1994年、ドイツ連邦議会議員に初当選。1996年から1998年まで、ドイツ連邦議会CDU/CSU(キリスト教社会同盟)連合議員団財務担当を務める。1998年にCDUが野党に転落した後、連邦議会党議員団副団長、ついで2000年2月に辞任したヴォルフガング・ショイブレ党首の後任として連邦議会党議員団長に就任、連邦議会における野党代表となった。

メルツは経済・財務政策通として知られており、党内では経済リベラル派に属していた。2003年には脱官僚主義を掲げて大胆な税制改革案を発表し、それは「ビールの紙コースターの上で勘定出来る」簡略化されたものだった。また遺伝子組み換え食品の導入に賛成し、ドイツに来る移民に対し「標準文化」(ドイツ語の知識と民主主義の尊重)の受け入れを要求するなどの意見を持っていた。

しかし、2002年の連邦議会選挙後にアンゲラ・メルケル党首が自らの連邦議会議員団長職就任を要求したため、議員団長職を譲って副団長に退いた。2004年12月には副団長職も辞任した。2006年には連邦議会議員の副業とその収入を公開すべきという連邦議会の決定に反対して、8人の同僚議員と共に連邦憲法裁判所に提訴したが、2007年2月に棄却されている。さらに2007年には党執行部との政策方針の違いを理由に2009年ドイツ連邦議会選挙に立候補しないことを表明し、政治活動を休止すると発表した。

連邦議会議員当時の2002年から2004年まで、ケルンの弁護士事務所に所属しており、2004年からはベルリンのメイヤー・ブラウン国際弁護士事務所に転じている。現在アクサドイツ取引所などの監査役、BASFの経営委員、ボルシア・ドルトムントコメルツ銀行の相談役を務めている。2009年7月からは独米友好協会会長に就任、2010年1月からは死去したオットー・グラーフ・ラムスドルフの後任としてHSBC Trinkhausの経営委員に就任した。2017年にはノルトライン=ヴェストファーレン州ブレグジット担当嘱託に任命された。

メルケル首相が2018年末の任期限りで党首選に出馬しないと表明すると、アンネグレート・クランプ=カレンバウアーやイェンス・シュパーンと共に、次期党首選への出馬を表明した。11月にフルダ選挙区でのCDU幹部会で正式に候補者としての推薦を受けた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:21 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef