フリブール/フライブルク
Fribourg
Freiburg im Uechtland
基礎自治体(commune)章
位置
フリブールの位置
座標 : 北緯46度48分0秒 東経7度09分0秒 / 北緯46.80000度 東経7.15000度 / 46.80000; 7.15000
フリブール(フランス語:Fribourg)またはフライブルク(標準ドイツ語:Freiburg im Uechtland 、スイスアレマン語:Fryburg im Uechtland)は、スイスのフリブール州に属する基礎自治体(コミューン)。
2013年の人口は37,485人。サリーヌ川(これはフランス語名で、ドイツ語名はザーネ川[1])沿いに位置し、工業のほかにチーズやチョコレートなどの食品産業も発展している。近隣の都市としては、約30キロ北東にベルン、訳50キロ南西にローザンヌが位置している。フランス語名でフリブール、ドイツ語名でフライブルク、正式にはフライブルク・イム・ユヒトラントという。フライブルクという名の自治体はドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州のフライブルク(正式名はフライブルク・イム・ブライスガウ)などドイツ語圏各地に存在することから、日本ではフランス語名でフリブールと呼ばれることが多い。 1157年、ツェーリンゲン家によって建てられた要塞を起源とする。その後、ハプスブルク家やサヴォイア家の支配も受けた。1481年にスイス盟約者団に加盟してスイスの一員となった。カトリック勢力の強い都市であり、16世紀における対抗宗教改革における牙城となった。 サリーヌ川を言語境界線が通過しており、スイス領内におけるドイツ語とフランス語の境界線となっている。フリブールではフランス語とドイツ語の二言語が公用語である。ドイツ国内でさえも、この町はしばしばフライブルクではなくフリブールというフランス語の発音がなされる。住民は両方の言語を駆使できるという建前だが、実際には多数派のフランス語系住民の中にはドイツ語がほとんど話せない人も多い。[要出典] 1157年の自治体建設当初はドイツ語系住民が多数派だったが、13世紀後半に周辺のフランス語圏からフランス語系住民が流入し、14世紀にはフランス語が公用語となった[1]。1481年にはスイス盟約者団に加盟してドイツ語系住民の勢力が増し、1572年にはフランス語禁止令が出された[1]。18世紀末にはナポレオン・ボナパルトがドイツ語を公的な場から追放してフランス語が優位となり、1831年にはリベラルな憲法によって布告や法律制定を両言語で行うことが定められた[1]。1990年には両言語が平等な公用語であるとする法律が成立し、両言語系住民の相互交流の促進が図られている[1]。現在では63.6%(22,603人)がフランス語を第一言語として用い、21.2%(7,520人)がドイツ語を第一言語として用い、3.8%(1,359人)がイタリア語を第一言語として用い、55人はロマンシュ語を用いる[2]。
目次
1 歴史
2 言語
3 大学
4 気候
5 観光
6 姉妹都市
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク
歴史
言語