フランソワ・モーリアック
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フランソワ・モーリアック
Francois Mauriac
フランソワ・モーリアック(1952年)
誕生フランソワ・シャルル・モーリアック
Francois Charles Mauriac
(1885-10-11) 1885年10月11日
フランス共和国
ボルドー
死没1970年9月1日(1970-09-01)(84歳)
フランス
パリ
職業作家
国籍 フランス
活動期間 
主な受賞歴ノーベル文学賞1952年
子供クロード・モーリアック(子)
親族アンヌ・ヴィアゼムスキー(孫)
影響を与えたもの

遠藤周作三島由紀夫

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ノーベル賞受賞者
受賞年:1952年
受賞部門:ノーベル文学賞
受賞理由:彼の小説の人間生活のドラマに浸透した、深い精神的な洞察力と芸術的な強さに対して

フランソワ・モーリアック(モリヤック、Francois Mauriac ⇒発音例, 1885年10月11日 - 1970年9月1日)は、フランスカトリック作家。息子にクロード・モーリアック、外孫にアンヌ・ヴィアゼムスキーがいる。

1926年アカデミー・フランセーズ賞を受賞し、1952年にはノーベル文学賞を受賞した。なおアカデミー・フランセーズ賞受賞者としては初のノーベル文学賞受賞者であった。
生涯

ボルドーの中産階級の家に生まれ、敬虔なカトリックの母に育てられた。1906年にパリに出て、フランス国立古文書学校に入学したがまもなく退校した。文学に専念し、《現代誌 Revue du Temps Present》に寄稿するかたわら、1909年に処女詩集『合掌 Les mains jointes』を発表し、モーリス・バレスの賞賛を得る。第一次世界大戦に従軍し、戦後の1922年『癩者への接吻 La baiser au lepreux』を発表して小説家としての地位を確立し、次いで1923年『火の河 La fleuve de feu』『ジェニトリクス Genitrix』を発表後、1925年『愛の砂漠 Le desert de l'amour』によってアカデミー・フランセーズ賞を得た。また、1927年『テレーズ・デスケルウ Therese Desqueyroux』、1932年『蝮のからみあい Le n?ud de viperes』などを発表したほか、『イエスの生涯 La Vie de Jesus』やラシーヌパスカルを論じたものや小説論もある。

戦前は反ファシストの論陣を張り、第二次世界大戦中は反ナチス抵抗運動に参加。その記録を『黒い手帖 Cahier noir』(筆名フォレ、1943年)として地下出版の深夜叢書から刊行した[1][2]。戦後は急進カトリック派の重要人物として、保守主義の立場から実存主義共産主義に対決している。1952年ノーベル文学賞を受賞している。
作風

彼は背景や題材を多く故郷のボルドー地方の風物、古い伝統や因習の殻に閉じこめられた地方的な家庭生活に採り、個人と家庭、信仰と肉の葛藤、エゴイズムと宗教意識の戦いを主なテーマとした。病的なほどに我執や肉欲にとらわれる人間の内面を執拗に分析して、神なき人間の悲惨を描いた。表現は独自の内的独白の手法により、文体は古典的で端正、精緻で、構成もきわめて巧妙、深刻な道徳問題を取り扱った心理小説家として独自の地位を保つ。


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