Francois Truffaut
フランソワ・トリュフォー
トリュフォー(1965年)
本名Francois Roland Truffaut
生年月日 (1932-02-06) 1932年2月6日
没年月日 (1984-10-21) 1984年10月21日(52歳没)
出生地 フランス共和国 パリ
死没地 フランス オー=ド=セーヌ県ヌイイ=シュル=セーヌ
国籍 フランス
職業映画監督、脚本家、俳優
ジャンル映画
活動期間1955年 - 1984年
配偶者Madeleine Morgenstern(1957年 - 1965年)
主な作品
監督・脚本
『大人は判ってくれない』(1959年)
『突然炎のごとく』(1962年)
『夜霧の恋人たち』(1968年)
『野生の少年』(1970年)
『恋のエチュード』(1971年)
『アメリカの夜』(1973年)
『終電車』(1980年)出演
『未知との遭遇』(1977年)
受賞
アカデミー賞
外国語映画賞
1973年『アメリカの夜』
カンヌ国際映画祭
監督賞
1959年『大人は判ってくれない』
国際カトリック映画事務局賞
1959年『大人は判ってくれない』
全米映画批評家協会賞
監督賞
1969年『夜霧の恋人たち』
1973年『アメリカの夜』
ニューヨーク映画批評家協会賞
監督賞
1973年『アメリカの夜』
脚本賞
1975年『アデルの恋の物語』
外国語映画賞
1959年『大人は判ってくれない』
英国アカデミー賞
監督賞
1973年『アメリカの夜』
セザール賞
監督賞
1980年『終電車』
脚本賞
1980年『終電車』
その他の賞
ボストン映画批評家協会賞
外国語映画賞
1980年『終電車』下記を参照
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フランソワ・ロラン・トリュフォー(Francois Roland Truffaut、1932年2月6日 - 1984年10月21日)は、フランスの映画監督、脚本家、俳優である。ヌーヴェルヴァーグを代表する監督の一人。映画作家・理論家のアレクサンドル・アストリュックがトリュフォーを「愛のシネアスト(cineaste)」と定義した[1]。
生涯フランソワ・トリュフォーとクロード・ジャド (『逃げ去る恋』のプレミアで)
パリに生まれたトリュフォーは両親の離婚から孤独な少年時代を過ごし、幾度も親によって感化院に放り込まれるなど、親との関係で問題の多い少年だった。1946年には早くも学業を放棄し映画館に入り浸り、1947年にはシネクラブを組織し始める。15歳のとき、のちに映画評論誌『カイエ・デュ・シネマ』初代編集長(1951年 - 1958年)となる批評家アンドレ・バザンと出会い引き取られ、以降バザンが死ぬまで親子同然の生活を送る。