フランソワ・オランド
Francois Hollande
フランス
第24代大統領
任期2012年5月15日 – 2017年5月14日
首相ジャン=マルク・エロー
マニュエル・ヴァルス
ベルナール・カズヌーヴ
アンドラ
共同大公
任期2012年5月15日 – 2017年5月14日
ウルヘル司教ジュアン・エンリク・ビベス・イ・シシリア
コレーズ県
議会議長
任期2008年3月20日 – 2012年5月11日
大統領ニコラ・サルコジ
フランス
国民議会議員
任期1988年6月23日 - 1993年4月1日
1997年6月12日 – 2012年5月14日
チュール
第39代市長
任期2001年3月19日 – 2008年3月17日
社会党
第一書記
任期1997年11月27日 – 2008年11月26日
出生 (1954-08-12) 1954年8月12日(69歳)
フランス セーヌ=マリティーム県ルーアン
政党社会党
受賞レジオンドヌール勲章
国家功労勲章
ポーランド白鷹勲章
イタリア共和国功労勲章
大勲位菊花大綬章
出身校国立行政学院
パリ政治学院
HEC経営大学院
パリ第2大学
前職会計検査院検査官
弁護士
配偶者ヴァレリー・トリールヴァイレール(元パートナー)
セゴレーヌ・ロワイヤル(元パートナー)
子女4人
署名
フランソワ・ジェラール・ジョルジュ・ニコラ・オランド(フランス語: Francois Gerard Georges Nicolas Hollande、1954年8月12日 - )は、フランスの政治家。第24代フランス大統領、アンドラ共同大公を務めた。 1954年8月12日にセーヌ=マリティーム県ルーアンにて、耳鼻咽喉科の医者であるジョルジュ・オランドを父に、ソーシャルワーカーのニコール・トリベールを母に誕生する。 パリ西部近郊ヌイイ=シュル=セーヌに居住し、リセ・パストゥール 1981年にジャック・シラクの対立候補として1981年フランス議会総選挙に立候補するが、第1回選挙で敗退する。シラクが50パーセント以上の得票率であったのに対し、オランドの得票率は26パーセントでしかなかった。しかしミッテランの大統領選挙勝利によって、側近であるオランドは大統領官邸での任務(経済問題)を担当することになる。1983年にピエール・モーロワ内閣で次々に現れた2人のスポークスマンであるマックス・ガロとロラン・デュマの官房長となる。同年に市町村議会選挙に立候補するが敗れ、ジャック・シラクの選挙区であるコレーズ県ユセルの市町村参事会員となる。 1984年に派閥争いに嫌気がさし、数人の友人で特にジャン・イヴ=ル・ドリアン、ジャン・ピエール=ミニャール、ジャン・ミシェル=ガイヤールなどと共に社会党の超派閥集団を結成した。 1988年にミッテランの大統領が再選された後、コレーズ県第1選挙区で53パーセントの得票数を得て国民議会議員に当選。同年から1991年まで政治学院で第3学年の学生に経済学を教える。1990年にレンヌの党大会でモロワ=メルマッズ=ジョスパンの動議を支持した。 1993年に国民議会議員の任期を終了すると、1997年までジャック・ドロールの政治集団「クラブ・テモワン」を主宰する。現在彼は名誉会長を務める。会計監査院行政官としてのオランドは、弁護士職と同等の資格を持っており、暫くの間友人のジャン・ピエール=ミニャールの事務所で働く。 1994年に社会党で経済問題担当全国書記となる。ジャック・ドロールが大統領選への立候補を断念した後、リオネル・ジョスパンに接近する。ジョスパンは自らの大統領選挙キャンペーンの、また1995年10月には社会党のスポークスマンに起用した。 多元的左翼勝利の後、1997年に再び代議士(得票率54パーセント以上をもって)となり、ジョスパンも首相に指名された。ジョスパンは自らの後継者として社会党第一書記(党首)の地位をオランドに託した。以後10年間に渡ってフランス社会党第一書記を務めた。調整型といわれる半面リーダーとしての決断力に欠けるとの声もある。 1999年に欧州議会議員に選出され、社会主義インターナショナルの副議長に選出されている。2001年からはチュール市長も務めた。 2007年には同年の大統領選挙にも出馬したセゴレーヌ・ロワイヤルとの事実婚関係を解消した。
来歴
政界入り
社会党第一書記へオランドとセゴレーヌ・ロワイヤル。(2007年フランス国民議会選挙での社会党大会にて)