フランス領アファル・イッサ
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フランス領アファル・イッサ
Territoire francais des Afars et des Issas

1967年 - 1977年


(国旗)

公用語フランス語
アラビア語
首都ジブチ市
高等弁務官
1966年 - 1969年ルイ・サジェ(フランス語版)
1976年 - 1977年カミール・ドルナノ(フランス語版)

政府評議会議長
1967年 - 1976年アリ・アレフ・ブールハン(英語版)
1976年 - 1977年アブドゥッラー・モハメド・カミール(英語版)
1977年 - 1977年ハッサン・グレド・アプティドン

面積
1971年23,200km²

人口
1970年推計95,000人
1971年推計367,210人
1974年推計350,000人
1977年推計200,000人

変遷
フランス領ソマリより移行1967年7月5日
ジブチ共和国として独立1977年6月27日

通貨ジブチ・フラン

フランス領アファル・イッサ(フランス語: Territoire francais des Affars et des Issas[1])は、1967年東アフリカのフランス領ソマリが改称して名づけられたフランス海外県の名称。1977年にフランスからジブチ共和国として独立した。アファル・イッサの名称はアファル族イッサ族、2つの部族の名称を併記したものである。紅海の入口・アデン湾奥の西岸を占め、イエメンアデンに相対している[1]
目次

1 その他の基礎情報

2 歴史

3 脚注

4 関連項目

その他の基礎情報

住民(1975年)ソマリ族 (50%)、アファル族 (30%)、欧州系 (6%)、アラブ人 (3%)
宗教イスラム教キリスト教カトリック
国内総生産(GNP、1969年)480万ドル
一人当たりの所得(1969年)50ドル
貿易輸入額(1969年)3300万ドル
貿易輸出額(1969年)400万ドル
年平均気温25~30℃
政体議員32名で、その中から選出された8名から成る国家評議会が内政のみ担当。フランス国民議会と上院に代表2名を派遣。
入国ビザが必要で、コレラ黄熱病などの予防接種も必要。

歴史

19世紀後半にフランス領ソマリフランス語: Cote des Somalis[1])としてフランス植民地となった地域についは第二次世界大戦後、フランスの海外県となり1958年及び1967年3月には住民投票によって引き続きフランス領であることを選択したあと、1967年7月にフランス領アファル・イッサと改称された。改称後の9月、議会選挙でアファル族の進歩党が圧勝し、イッサ族を基盤とする独立アフリカ人民連盟と共に独立を要求した。その結果、仏領アファル・イッサは1977年、ジブチ共和国として独立した。
脚注

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^ a b c 『コンサイス地名辞典 外国編』、三省堂、1977年7月、P29。

関連項目

アフリカの角

この項目は、歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めていますP:歴史/P:歴史学/PJ歴史)。

この項目は、ジブチに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めていますPJ:アフリカ)。


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