フランス系カナダ人French Canadians
Canadien francais, Canadienne francaise
上段左から下段右へ
ウィルフリッド・ローリエ、モーリス・リシャール、ガブリエル・ロワ、ピエール・トルドー、セリーヌ・ディオン、アヴリル・ラヴィーン
総人口
5,077,215人 [1]
(2011年調査
フランス系カナダ人(英語:French Canadians 、フランス語:男:Canadien Francais 女: Canadienne Francaise)とは、基本的にはフランス出身の先祖を持つカナダ人(の民族的グループ)を指し、(そのほとんどが)17世紀または18世紀にヌーベルフランスに移住したフランスからの入植者の子孫である。カナダのフランス語圏社会の根幹をなしており、2011年の国勢調査(英語版)によるとその数は5,077,215人でカナダの総人口の約15%を占めており、イングランド系カナダ人(英語版)(6,509,500人)に次いで二番目に多い民族グループである[1]。また(英語の「French Canadians」という用語は、広義には)フランス語を主に使用するカナダの国籍を持つ人々、を指すこともあり[注 1]、カナダ国民の31%をなし、(そのほとんどが)カナダ・フランス語を話す人々である。
歴史1750年の北アメリカの勢力図。ピンクはイギリス、青はフランス、橙はスペイン領を示すフランス系カナダ人文化の発祥の地となったケベック・シティーの旧市街
1524年にイタリア人の探険家、ジョバンニ・ダ・ヴェラッツァーノはイングランドが保有するニューファンドランド自治領とスペインが保有するヌエバ・エスパーニャ副王領の間の土地を新たに発見した。ヴェラッツァーノはフランス国王フランソワ1世にこの土地をフランスが領有するように説得し、土地を「フランチェスカ」「ノバ・ガリア(ヌーベルフランス)」と命名した。これがフランスによるアメリカ大陸の植民地化の始まりである[2]。
毛皮交易所として1605年にはカナダで最初の恒久的な定住地であるポートロイヤル(英語版)が、その3年後の1608年にはケベック・シティーが設立された[3]。ヌーベルフランスはその後に発展を続け、最盛時の1712年には北はハドソン湾から南はメキシコ湾まで、東はニューファンドランド島から西はスペリオル湖まで領土を拡張した[4]。しかし、1763年に締結されたパリ条約でフランスはカナダを含めて北アメリカの植民地統治を諦め、その領土をイギリスに譲渡した[5]。