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ジャン・シャプラン(Jean Chapelain)、フランス文学院創設者の一人
碑文・文芸アカデミー(仏語: Academie des Inscriptions et Belles-Lettres)は、フランスのアカデミー。フランス学士院を構成する五つのアカデミーの一つ。領域は、歴史学、考古学、東洋学、文献学、言語学、美術史、思想史、碑文研究など[1]。現在のプレジダンはイヴ=マリー・ベルセ(Yves-Marie Berce)。
沿革
1663年:ラ・プチ・アカデミー(La Petite Academie)の名でコルベールによって設立[2]。
1795年:フランス学士院に統合[3]。
1816年:碑文・文芸アカデミー(Academie des Inscriptions et Belles-Lettres)となる。
フランス学士院
主な会員・連携会員
フランス人
アントワーヌ・ガラン(東洋学者、『千夜一夜物語』翻訳者)
アントワーヌ=レオナール・ド・シェジー(東洋学者)
アンリ・コルディエ(東洋学者)
エチエンヌ・フルモン(東洋学者)
オーギュスタン・ティエリ(歴史家、ジャーナリスト)
スタニスラス・ジュリアン(東洋学者)
ベルナール・フォントネル(作家、『世界の複数性についての対話』の著者)
ローヌ男爵ジャック・テュルゴー(政治家、重農主義経済学者、啓蒙思想家)
シャルル・ペロー(作家)
ジャン=シルヴァン・バイイ(天文学者、政治家)
ジャン=バティスト・コルベール(財務大臣)
ジャン・マビヨン(ベネディクト会修道士、歴史家、古文書学者)
ジョゼフ・ヴァンドリエス(言語学者、ケルト語学者)
ピエンツァ公シャルル=フランソワ・ルブラン(政治家)
フランツ・ミクロシッチ(言語学者)
ミシェル・ブレアル(言語学者、神話学者)
外国人
秋山光和(日本美術史)[4]
平山郁夫(日本画)[4]
大地原豊(仏教学)[5]
三笠宮崇仁親王(皇族、古代オリエント史)
佐藤彰一(西洋中世史)[4]
松村剛(中世フランス文献学)[6][7]
脚注[脚注の使い方]^ “Presentation” (フランス語). https://www.aibl.fr (2022年2月26日). 2022年5月31日閲覧。
^ “1663-1793” (フランス語). https://www.aibl.fr (2011年3月16日). 2022年5月31日閲覧。
^ “1793-1816” (フランス語). https://www.aibl.fr (2011年1月11日). 2022年5月31日閲覧。
^ a b c “佐藤彰一拠点リーダーがフランス学士院碑文・美文アカデミー連携外国人会員に選出”. 名古屋大学. 2022年5月31日閲覧。
^ “ ⇒touyou”. www.classics.jp. 2022年5月31日閲覧。
^ “人が目を向けない中世の語彙研究で、フランス語文献研究の基礎を築く| UTOKYO VOICES 077”. 東京大学. 2022年5月31日閲覧。
^ “言語情報科学専攻教授、松村剛先生がフランス学士院の新会員に選出されました。 - 総合情報ニュース - 総合情報ニュース”. www.c.u-tokyo.ac.jp. 2022年5月31日閲覧。