フランス国立東洋言語文化研究所
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フランス国立東洋言語文化学院 2015

フランス国立東洋言語文化学院(フランス語: Institut national des langues et civilisations orientales、略称: INALCO)はフランスパリにある研究機関、高等教育機関であり、国立東洋言語文化大学[1]、あるいは国立東洋言語文明学院[2][3]と訳されることもある。西ヨーロッパ起源以外(アフリカアジア東ヨーロッパオセアニア)の言語と文明についての研究および教育を行っている。1971年に現在の名称となった。略称のINALCO は、「イナルコ」のように読む。 Langues O' ([l???.z?o])「ラング・ゾー」とも呼称される[4]

前身はフランス東洋語学校[5]、パリ東洋語学校[6]、東洋語学校[7]と表現されることがある。
目次

1 概要

2 研究部門

3 脚注・参照

4 関連項目

5 外部リンク

概要

フランスの教育法では、大学とは別の特別高等教育機関(フランス語版、英語版)(: Grand etablissement、グランデタブリッスマン)の一つであるが、フランスで最も名門とされるグランゼコールには全く含まれず、グランゼコールのような超難関の個別入学試験も一切なく、バカロレアを取得したものであれば誰でも入学が可能である。位置付けは大学と全く同等である。

大学」に和訳されるが、文字通り、「イナルコ」の「イ」とは「アンシティテュー」(Institut)の略字で、「学院」の意味がある。要するに、イナルコというのはフランスの法律上では大学(ユーニヴェルシテー Universite)ではない。中世のキリスト教会によって設立されたソルボンヌなどの大学と違って、イナルコは近世のフランス絶対王政の高等教育機関として設立されたのである。ルイ14世(在位1643-1715)親政下の財務総監のジャン=バティスト・コルベール (Colbert) が重商主義政策を推進すると、「東洋」市場の開拓と東洋の国家との交流を発展させるため、イナルコの前身であった「王立若手言語学校」(Ecole des jeunes de langues)が設立された(1669年)。トルコ語アラビア語の翻訳・通訳できる人材の育成がその使命であった。

フランス革命が起こると、また別の同類の教育機関の東洋言語特別学校(Ecole speciale des langues orientales)が設立された(1795年)。

1873年にその二つの学校が合併した。

1914年に、国立東洋言語学校(Ecole nationale des langues orientales)になった。

1971年に、東洋言語文化学院(Institut national des langues et civilisations orientales)になり、1984年まではパリ第3大学(新ソルボンヌ大学)に所属し日本語中国語など言語によってはパリ大学の学生は INALCOで学ぶことになっていた。ディプロム(卒業証書、Diplome)などもパリ第3大学の印が使われた。

1984年から完全に独立し、グランデタブリッスマンとして公認されている。

従来、本部はパリ6区に立地しキャンパスごとに分散していたが、2011年パリ13区のPole des Langues et Civilisations du Monde(〈世界の言語と文化〉拠点地区)にBULAC(フランス語版)(大学間共同利用言語・文化図書館)[8]などとともに集約され移転した[4]

日本では明治大学立教大学早稲田大学などと国際交流協定を結んでいる。
研究部門

アフリカ研究

ネイティブアメリカンの言語と文明研究

アラビア研究

南アジア研究

東南アジア研究

中央ヨーロッパ・東ヨーロッパ研究

中国研究

ユーラシア研究

日本の言語と文明研究

ユダヤの言語と文明研究

ロシア研究

脚注・参照^INALCO / 国立東洋言語文化大学 。慶應義塾大学国際センター
^日仏会館 。研究活動 。研究員/事務局 。ロラン・ネスプルス
^ 山口昭彦「フランスにおけるイラン研究とクルド研究」『オリエント』第40巻第1号、一般社団法人日本オリエント学会、1997年、 172-182頁、 doi:10.5356/jorient.40.172。
^ a bINALCO 日本学科への 日本人交換留学生の受け入れ態勢について
^日本キリシタン史|放送大学附属図書館
^ 石澤良昭「パリ東洋語学校200周年記念国際シンポジウム」『東南アジア史学会会報』第64巻、東南アジア史学会、1996年4月、 .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/65/Lock-green.svg/9px-Lock-green.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg/9px-Lock-gray-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Lock-red-alt-2.svg/9px-Lock-red-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration{color:#555}.mw-parser-output .cs1-subscription span,.mw-parser-output .cs1-registration span{border-bottom:1px dotted;cursor:help}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4c/Wikisource-logo.svg/12px-Wikisource-logo.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output code.cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:inherit;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-visible-error{font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#33aa33;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration,.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-right{padding-right:0.2em}NAID 110003744329。
^ 森川甫「ロニの東洋語学校日本語講座開講講演(1863年)」『関西学院大学社会学部起用』第47巻、関西学院大学、1983年、 19-28頁。
^CA1822 - 大学間共同利用言語・文化図書館(BULAC)?欧州随一の言語・文化図書館? / Clotilde Monteiro 。カレントアウェアネス・ポータル

関連項目

ルイ=マチュー・ラングレス


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