フランス国家憲兵隊治安介入部隊
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国家憲兵隊治安介入部隊 (GIGN)
エンブレム
創設1974年
所属政体 フランス
所属組織国家憲兵隊
兵種/任務/特性対テロ特殊部隊
人員約387名
所在地ヴェルサイユ
(イル=ド=フランス地域圏)
標語S'engager pour la vie
(人命を守るために)
上級単位国家憲兵総局 (DGGN)
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国家憲兵隊治安介入部隊(こっかけんぺいたいちあんかいにゅうぶたい、フランス語: Groupe d’intervention de la gendarmerie nationale、GIGN、ジェイジェン、 pronunciation[ヘルプ/ファイル]) は、フランス国家憲兵隊特殊部隊[1]
来歴

1972年9月に西ドイツで発生したミュンヘンオリンピック事件は、隣国フランスにおいても大きな衝撃として受け止められた。またこれに先駆けて、フランス国内でも1969年にジロンド県セスタで発生した人質事件、そして1971年のビュッフェとボンタン事件といった凶悪事件が発生していた。セスタの事件は、精神錯乱に陥った父親が国家憲兵隊の突入の際に2人の子供を殺害、本人も自殺した。またビュッフェとボンタン事件でも、国家憲兵隊は国家警察保安機動隊(CRS)と共同で介入したものの、やはり人質の殺害を阻止できなかった[2]

これらの教訓を踏まえて、1971年ごろより、国家憲兵隊は人質救出作戦対テロ作戦を重視した特殊部隊の編成を検討しはじめていた。そして1973年9月にパリで発生した、パレスチナ・ゲリラによるサウジアラビア大使館占拠事件が決定打となった。この事件はパリ警視庁コマンド対策部隊(BRI-BAC)によって解決されたものの、フランス国内で発生した初のパレスチナ・ゲリラによるテロ事件であり、対テロ作戦の必要性がよりいっそう高まることとなった[3]

国家憲兵隊もこれに対応して、まず同年11月3日、メゾン=アルフォール機動憲兵隊第2/2中隊(EGM 2/2)内に、実験的に地域圏介入コマンド部隊(Equipe Commando Regionale d’intervention、ECRI、エクリ)が編成された。そして1974年3月1日、これを増強改編して設置されたのが本部隊である[4][5]
編制 GIGNの隊員 GIGNの保安警護部隊(FSP)に所属する隊員

GIGNは人質救出作戦対テロ作戦部隊であり、国家憲兵隊の管内で生じた事案のうち、県憲兵隊や機動憲兵隊などの当該部門では対応が困難なものを取り扱う。フランスの警察制度では都市圏国家警察が管轄していることから、GIGNはそれ以外の地域で発生した事件に対応することになる。空港原子力施設の警備も国家憲兵隊の管轄であることから、ハイジャック核テロリズムへの対処も任務となる。また、国家警察の特殊部隊の作戦が基本的にフランス本土海外県の一部に限定されるのに対し、国家憲兵隊はその他の海外領土や国外でも活動することから、これらの地域での作戦もGIGNの担当となる[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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