フランス六人組
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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル クラシック音楽ジャック=エミール・ブランシュ『6人組の面々』(1921年)。中央はピアニストのマルセル・メイエ。左側、下からタイユフェール、ミヨー、オネゲル、ピアニストのジャン・ヴィエネル(英語版)。右側、左上がプーランク、隣がジャン・コクトー、下がオーリック。デュレはこの頃すでに6人組から離れていたため描かれていない。

フランス6人組(フランスろくにんぐみ :Les Six)は、20世紀前半フランスで活躍した作曲家の集団。単に「6人組」とも呼ばれる。全員で活動したのはたったの1回であった。

ロマン派音楽印象主義音楽とは一線を画し、新古典主義音楽に含まれる傾向を示す。

彼等は一つのグループであっても「同じ音楽的傾向は持ち合わせていない」と語っていたものの、今日の音楽学者や批評家は彼らの音楽を「家族的作風」というひとつの傾向にまとめている。また、常に新しい音楽を提案していたグループとしても知られ、全音階(ドレミファソラシド)に最後の可能性を求めた音楽家集団でもあった[1]
フランス6人組の作曲家

ルイ・デュレ(Louis Durey, 1888年 - 1979年)

アルテュール・オネゲル(Arthur Honegger, 1892年 - 1955年)

ダリウス・ミヨー(Darius Milhaud, 1892年 - 1974年)

ジェルメーヌ・タイユフェール (Germaine Tailleferre, 1892年 - 1983年) ※唯一の女性

フランシス・プーランク(Francis Poulenc, 1899年 - 1963年)

ジョルジュ・オーリック(George Auric, 1899年 - 1983年)

結成の経緯

オネゲル、ミヨー、タイユフェールの3人はパリ音楽院の同期生であり、デュレ、オネゲル、オーリックはエリック・サティらと「新しい若者のためのグループ(ヌヴォー・ジュンヌ)」を結成していた。1917年頃にはサティの『パラード』に感銘を受けたプーランクが合流する。

プーランクによれば、当時ヴィユ・コロンビエ劇場の運営を任されていた声楽家のジャーヌ・バトリが企画した、上記6人の作曲家のコンサートが「6人組」成立の発端となった[2]。また、彼らはモンパルナスの画家たちのアトリエにおいて、パブロ・ピカソジョルジュ・ブラックアメデオ・モディリアーニらと共同で、音楽と美術のコラボレーション「竪琴とパレット」を企画するなどの活動を行った[2]

彼らとつながりが深かった詩人ジャン・コクトーは、『雄鶏とアルルカン』(1918年3月)、『パリ・ミディ』紙(1919年)において印象派にかわる新しいフランス音楽の必要性を説き、コクトーの影響を受けた批評家のアンリ・コレは彼らを「6人組」と名づけ、1920年1月16日付の『コメディア』誌に「ロシア5人組、フランス6人組、そしてエリック・サティ」を掲載し、この名称を世に広めた[3]

メンバーとしての創作活動は少なく、共同制作によるピアノ小品集『6人組のアルバム』(1920年)、デュレを除く5人の合作による『エッフェル塔の花嫁花婿』(1921年バレエ・スエドワの委嘱による)などがあるのみである。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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