この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: "フランス・フラン"
フランス・フラン
フランス語: Franc francais
100フラン紙幣と50フラン紙幣500フラン紙幣と200フラン紙幣
ISO 4217
コードFRF
中央銀行フランス銀行
使用開始日1360年
使用
国・地域 フランス、 アンドラ、 モナコ
ERM
開始日
レート固定日1999年1月1日
?使用開始日1999年1月1日
?一般流通開始日2002年1月1日
? =6.55957 FRF
補助単位
1/10ドゥシーム
1/100サンチーム
通貨記号?
フランス・フラン(フランス語: Franc francais)は、かつてフランス共和国で流通していた法定通貨である。
フランス本土のほか、ニューカレドニア・フランス領ポリネシア・ウォリス・フツナを除く海外領土、およびモナコとアンドラで通用していた。米ドル、ドイツマルク、日本円、イギリスポンドに次ぐ国際通貨のひとつであったが、ユーロの導入により、2002年までに通貨としての役割を終えた。
通貨記号は₣またはFF, あるいは単にFと表記する。ISO 4217のコードはFRF. 補助単位はサンチーム (centime) で、かつてはドゥシーム (decime) も使われていた。
以降、特に断りのないかぎりフランス・フランを単にフランと記す。 フランは1360年に当時の国王ジャン2世が作った金貨にその端を発する。「フラン」の名は、ラテン語の Johannes Dei Gratia Francorum Rex(神の恩寵によるフランクの王ジャン)から取られ、その価値は当時の通貨であった「トゥールポンド」 (Livre tournois) と同一(1フラン=1トゥールポンド=20ソル)と定められた。この最初のフランは「フランカ・シュヴァル」(Franc a cheval) と呼ばれる。 のちにシャルル5世、アンリ3世、アンリ4世によって鋳造されることになる。シャルル5世によるものを「フランカ・ピエ」(Franc a pied) と呼ぶ。アンリ3世以降は銀貨となった。 1641年、ルイ13世はフランの発行を止め、新たに銀貨「エキュ」(Ecu) と金貨「ルイ・ドール」(Louis d'Or) を作るが、「フラン」の名称はトゥールポンドの別称としてそのまま使われ続けた。当時のフランスでは、国王が定めたエキュの他に、トゥールポンド(リーヴル)やドゥニエなど、様々な貨幣や貨幣単位が混在して流通していた。 1795年、国民公会によってフランは十進法(1フラン=10ドゥシーム=100サンチーム)による法定通貨として正式に制定された。この時のフランは4.5 gの銀貨であり、4.505 gのリーヴル貨幣より若干小さかったが、1796年には1フラン=1.0125リーヴル(1リーヴル3ドゥニエ)になった。 1803年、フランス革命暦の月の名にちなんだ金貨「フラン・ジェルミナル(Franc germinal)」が発行される。この貨幣は9/31 g (290.32 mg) の純金であった。これ以降、金貨と銀貨を基準にし、相互に交換可能な貨幣制度(金銀複本位制)が確立する。この制度は、1864年に5フラン貨幣以外のすべての銀貨において、銀の含有率が90%から83.5%に落とされるまで続いた。 王政復古の時期も、フランは変わらず通貨として使われた。 フランスは1865年成立のラテン通貨同盟 (Latin Monetary Union, LMU) の創立メンバーとなり、LMUにおいてはフラン・ジェルミナルが基準の貨幣となった。1873年、LMUは1フラン(金フラン)=金9/31 gとする完全金本位制に移行している。 第一次世界大戦の勃発によって、フランスはLMUの金本位制を捨てることになった。戦費、インフレや戦後復興のための大量の紙幣発行によって、フランの価値は大幅に目減りし、その購買力は1915年から1920年にかけて70%に、1922年からは1926年にかけてはさらに43%にまで下落した。終戦後、フランスは1928年に金本位制に戻るものの、1936年に再び離脱して以降はまたもフランの下落が続いた。1959年時点でのフランの価値は、1934年の数字の1/40にも満たない有様だった。 第二次大戦後、ブレトン・ウッズ協定のもとでフランは数回切り下げをしている。1945年の段階で480フラン=1ポンド(119.1フラン=1ドル)であったのが、1949年には980フラン=1ポンド(350フラン=1ドル)、1957年には1382.3フラン=1ポンド(493.7フラン=1ドル)まで下げられた。 1960年1月、フランは1/100のデノミネーションを実施。それまでの1フラン・2フラン硬貨はサンチームとして、100フランが「新フラン」(nouveau franc) として使われることになった。この頭文字「NF」は、その後一部の紙幣に使われている。インフレはなおも続いていたが、他の国に比べて進行のペースは緩やかになった。その後、1968年にもう1回切り下げが行なわれたのを最後に、ブレトン・ウッズ協定は変動相場制へ移行した。しかしながら、1999年1月1日にユーロが導入された時のフランは、1960年と比べて1/8未満の価値にまで落ち込んでいた。 旧フランは徐々に置き換えられ、利用ができなくなっていった。フランがユーロへ移行した時点では、古いフラン貨幣はいずれも無効となっていた。一方、新フランへの切り替え後、フランスの人々の間では、大きな金額のことを「古いフラン」(anciens francs) と呼びならわす習慣が残った。
歴史最初のフラン金貨、フランカ・シュヴァル
草創期
フランス革命後1795年にアッシニアとして発行された1,000フラン紙幣
大戦期
新フラン