フランスの歴史年表
[Wikipedia|▼Menu]

フランスの歴史年表(フランスのれきしねんひょう)は、フランスおよびその前身で起きた重要な事件を記す。これらの事件の背景についてはフランスの歴史を参照。またフランス君主一覧フランスの大統領も参照。
3世紀

年日付事件
260年
ポストゥムスが自立してガリア帝国を打ち立て、帝国属州ガリアゲルマニアブリタンニアヒスパニアを支配した。これらの属州は3世紀の危機によりローマ帝国から分離した。
274年シャロン・スュル・マルヌの戦い:ローマ帝国ガリア帝国に勝利し、ガリアはローマ帝国へ再統合された。
297年サリ族がバタウィー族の居住地に住むことを許された。

5世紀

年日付事件
418年
ホノリウス西ゴート族ガリア・アクィタニアを与えた。西ゴート王国が成立、ワリアテオドリック1世父子が相次いで即位した。
426年サリ族の初代の王クローディオが即位。
448年クローディオ死去、メロヴィクスが後を継ぐ。
451年6月20日カタラウヌムの戦い西ローマ帝国テオドリック1世率いる西ゴート王国軍、フランク族などの連合軍がフン族を撃退し、フン族のガリア征服は免れた。しかしこの戦いでテオドリック1世が戦死、子のトリスムンドが王位を継承した。
453年テオドリック2世が兄のトリスムンドを殺害し西ゴート王国の王に即位した。
457年メロヴィクス死去、子のキルデリク1世が後を継ぐ。
ローマ帝国ガリアにおける最後の地域であるソワソン管区が設立され、アエギディウスマギステル・ミリトゥム(軍司令官)に任命された。
462年西ローマ帝国セプティマニア西ゴート王国に割譲される。
463年アエギディウスキルデリク1世オルレアン西ゴート族を撃破。
464年アエギディウス死去、子のシアグリウスマギステル・ミリトゥムの位を継いだ。
465年キルデリク1世死去、クローヴィス1世が後を継いだ。
466年テオドリック2世が弟のエウリックに殺害される。エウリックは西ゴート王国の王に即位、ローマからの独立を宣言し、イベリア半島の南部まで勢力圏を広げた。
485年エウリック死去、子のアラリック2世が王位を継承した。
486年ソワソンの戦いクローヴィス1世フランク軍シアグリウスを撃破し、ソワソン管区を併合。シアグリウスは西ゴートアラリック2世の宮廷に逃れ庇護を求めたが、捕らえられてクロヴィスに引き渡され、翌年に殺された。

6世紀

年日付事件
507年
ヴイエの戦いクローヴィス1世西ゴートアラリック2世を破り、ガリア・アクィタニアを獲得。これが現代のフランスの基礎となった。
511年11月27日クローヴィス1世死去、4人の息子が遺領を分割し、キルデベルト1世パリを、クロタール1世ソワソンを、クロドメールオルレアンを、テウデリク1世ランスアウストラシア)を相続した。
524年6月25日ヴェズロンスの戦い:クローヴィス1世の息子の連合軍がブルグントゴドマール2世に大勝した。しかし、オルレアンの王クロドメールが戦死した。
ネウストリアの王クロタール1世クロドメールの長男テオドバルドと次男グンタールを殺害し、末息子クロドアルドも逃亡。相続人のいなくなったオルレアン王国はクロタール1世とキルデベルト1世の間で分割された。
534年テウデリク1世死去、子のテウデベルト1世アウストラシア王位を継承。
547年テウデベルト1世死去、子のテオデバルドがアウストラシア王位を継承。
555年テオデバルド死去、アウストラシアクロタール1世に併合された。
558年12月13日キルデベルト1世死去。弟のクロタール1世がその領地を相続し、クローヴィス1世が作り上げたフランク王国を再統一した。
561年11月29日クロタール1世死去、4人の息子が遺領を分割し、カリベルト1世パリを、グントラムがブルグント王国を、シギベルト1世がアウストラシアを、キルペリク1世ネウストリアを相続した。
567年11月パリの王カリベルト1世が死去。後継者がなく、領地は3人の弟たちに分割された。
575年アウストラシアの王シギベルト1世が死去、子のキルデベルト2世が王位を継承。
584年9月ネウストリアの王キルペリク1世が暗殺された。生後4ヶ月の遺児クロタール2世が継承し、その母フレデグンドが摂政となった。
592年1月28日ブルグント王グントラムが死去、養子のキルデベルト2世が継承した。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:102 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef