フランスのユーロビジョン・ソング・コンテストでは、フランスにおけるユーロビジョン・ソング・コンテストについて述べる。フランスはユーロビジョン・ソング・コンテストの歴史の中で最も成功した国の一つであり、1956年大会で初出場してから2020年までに大会に62回参加している。フランスはユーロビジョンが初めて行われたときに参加した7箇国の一つであり、歴史上、欠場したのは1974年大会と1982年大会の2回のみである。62回の参加経歴の中で、最下位となったのは2014年大会が初めてのことである。
フランスでのユーロビジョン大会の放送を担当する放送機関も変遷を続けている。1956年から1973年まではRadiodiffusion-Television Francaise(RTF)およびOffice de Radiodiffusion Television Francaise(ORTF、1964年6月にRTFから改組)がフランスでの放送を担当した。1975年からはTF1がこれに代わり、1981年に撤退した。1983年からはフランス・テレビジョンがフランスでの放送を引継ぎ、2008年の時点まで同局がフランスでの放送を担っている。
2004年に準決勝が導入された際、フランス・テレビジョンの娯楽系チャンネルフランス4が準決勝を放送する一方、総合系チャンネルフランス3はフランス代表を選ぶ国内選考を企画し、本選の決勝も放送した。 フランスはユーロビジョンにおいて最も成功した国の一つであり、2008年までに優勝を5回、2位を4回、3位を7回経験している。さらに、1991年大会ではアミーナ・アンナビ
歴史
しかし、1990年代末からフランスの成績は低迷を続ける。1998年に電話投票が導入されてから、フランスはほぼ常に下位から10番目以内に入り、2003年大会と2008年大会では18位、1999年大会では19位、2006年大会と2007年大会は22位、2000年大会と2005年大会では23位、1998年大会では24位となっている。2014年大会において、57回目の出場にして初めて最下位となった。
しかし、21世紀に入ってからフランスが良い結果を残した例もあり、2001年大会ではカナダの歌手ナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)は「Je n'ai que mon ame」を歌い4位となった。オッズでは優勝候補と目されていた。2002年大会でも良好な結果となり、サンドリーヌ・フランソワーズ(Sandrine Francois)の「Il faut du temps」は5位となった。また、2016年大会ではアミール・アッダード(Amir Haddad)の「J'ai cherche」が6位となった。
2008年大会でのセバスチャン・テリエ(Sebastien Tellier)の参加経験から、フランスのショービジネスにおいてユーロビジョンは強力な広告となることが示された。それ以降、有名歌手をフランス代表として選ぶことが決まった。そうした野心的な試みから、2009年大会ではフランスのスーパースター、パトリシア・カースがフランス代表としてロシアのモスクワで行われる大会に挑むこととなった。カースは世界的な人気を誇るフランス語の歌手であり、全世界でこれまでに1600万枚以上のレコードを売り上げている[1]。 1956年の初参加以降、2019年までの間にフランスが同大会に出場しなかったのは1974年と1982年のみである。1974年、大会に参加する歌手と楽曲を選んだものの、フランス共和国大統領のジョルジュ・ポンピドゥーが大会の行われる週に死去したため参加を辞退した[2]。もし大会に参加していれば、フランス代表はダニ
不参加
1981年11月、TF1は1982年のユーロビジョン大会への不参加を決定し、TF1のエンターテイメントの最高責任者ピエール・ブーティエ(Pierre Bouteiller)は、「才能の欠如と楽曲の凡庸には苛立ちがこみ上げる。