フランスにおける日本の漫画
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フランスにおける日本の漫画(フランスにおけるにほんのまんが)では、フランスの日本漫画受容について概括する。あ現在フランスでは日本の漫画およびそのスタイルを指す語としてmangaという語が作成されており[1]、2000年代後半からは世界で第三位の「消費量」を誇る日本漫画消費大国となっている[2]。本項目では日本の漫画がフランスに移入される際の特有の事情を述べた後、今日の状況に直結する受容史として、戦後、特に1980年代以降の動向を概観する。目次

1 フランス語の manga という語について

2 読む方向の問題

3 受容史の概略

3.1 『AKIRA』以前:試行錯誤の時代

3.2 1990年代

3.2.1 『AKIRA』と Glenat 社

3.2.2 フランスにおける manga の黎明


3.3 1996年 - 2001年

3.3.1 人気漫画の翻訳

3.3.2 市場の拡大


3.4 2002年以降

3.4.1 メイン・ストリームへ

3.4.2 マンガリザシオン

3.4.3 日本漫画の多様性への視線



4 フランスで人気の日本漫画

4.1 作品別売上部数


5 脚注

6 参考文献

7 関連書籍

8 関連項目

フランス語の manga という語について 典型的な manga 的人物イメージの例

日本語からの外来語であるため名詞としてのは特に定まっていないが、現在では男性名詞として用いられることが多い。一部フレデリック・ボワレは自身が主唱する「ヌーベルまんが」(La Nouvelle Manga) に言及する文脈で女性名詞としても用い、両者のコノテーションを明示的に区別している。女性名詞としての用法は必ずしも根拠を欠いたものではなく、フランスで manga という語が最初に用いられたのは19世紀末のエドモン・ド・ゴンクールによる『北斎漫画』への言及(1885年)であり、このときは女性名詞として用いられていた[3][4][5]。それ以来多くの場合は女性名詞として使われており、男性名詞として雑誌やテレビで盛んに用いられて巷間に普及したのは近年、1990年代以降のことである。またフランスの漫画を指す語であるバンド・デシネ (bande dessinee) は女性名詞であり、これとの関係においても特に男性名詞として用いる必然性はない。[独自研究?]

単数・複数の書き分けについては、1991年に施行された新正書法は外来語にもフランス語と同様の複数形・アクサンの適用を定めているが[6]、これは徹底されず旧来の用法も残存しており、des manga および des mangas はいずれも正確な複数形として用いることができる。発音はいずれも「マンガ」である。
読む方向の問題 翻訳された日本漫画の奥付にはこのような「読み方」を示した図が付されていることもある。

日本漫画はバンド・デシネアメリカン・コミックスと異なって右から左へと読み進めるが、これは通常の文章を水平に左から右へと読むフランスの読者には馴染みのないものである。また、吹き出しのセリフのみを翻訳した場合は文字を読む向きと視線の動きが齟齬をきたすことになる。このため、フランスで翻訳された日本漫画は1978年に最初に紹介されてから1995年ごろまでレイアウト全体の向きを改めて出版されていた。かつての対処法の中には単純な反転印刷もあったが、これは人物の利き手が逆になったり、「心臓を突く」という描写に整合性が失なわれたり、あるいはナチス式敬礼が左手で行なわれたりする(手塚治虫アドルフに告ぐ』の翻訳 L'Histoire des 3 Adolf などに顕著)など、読者と作者の双方に不都合を生じさせるものだった。オリジナルを尊重しつつ横書きのセリフと馴染ませる方法として、セリフの入れ換えに伴って不都合の生じた描写箇所に手を入れ、さらにページ上のコマ割りをやり直すという比較的丁寧なやり方もあるが(Casterman 社の Ecritures シリーズ[7]など)、これは手間を要する。

現在では、大半の出版社はコスト面と作品性を尊重する意味から日本のものと同じ組み方向で出版している。以前はこのことが一部の読者に敬遠される要因ともなっていたが、1990年代にブームになった後はむしろ多くの読者がオリジナルに近いことを歓迎している。フランス以外でも、このころから日本と同じ組み方向で出版することが普通になった、とMona BakerとGabriela Saldanhaは著書で評している[8]
受容史の概略
『AKIRA』以前:試行錯誤の時代

1978年以前には、フランス語圏では現代的な意味での日本漫画の紹介はほとんど行なわれていない。例外としては1969年に柔道雑誌 Budo Magazine Europe に収録された平田弘史の『武士道無惨伝』 (Bushidou Muzanden) の数篇[9]、および1972年に Phenix 誌 (Phenix) にクロード・モリテルニ (Claude Moliterni) と小野耕世による「日本のバンド・デシネ」 ≪ La Bande Dessinee Japonaise ≫ と題された記事が掲載されたのみである[10]。1978年にアトス・タケモト (Atoss Takemoto) は Cri qui tue 誌を創刊する。これは1981年までに6冊を刊行し、さいとう・たかをゴルゴ13』 (Golgo 13)、手塚治虫鳥人大系』 (Le systeme des super oiseaux、 後の再刊時には Demain les oiseaux)、辰巳ヨシヒロ『グッバイ』 (Good Bye)、さらに石ノ森章太郎藤子不二雄植田まさしなどの作品を採録していた。紙面はすべて欧米の書籍に合わせた向きに変更されている。

1979年、タケモトと出版社 Kesselring が最初の単行本となる石ノ森章太郎の『佐武と市捕物控』 (Le vent du nord est comme le hennissement d'un cheval noir)[11] を刊行。当時のヨーロッパの水準からすれば優れた装丁であったがオリジナルの形式は軽視され、作者名の誤植を初めとして文字などの扱いもやや雑なものであった。雑誌と同様、単行本による紹介も最初期の試みは不発に終わった。この後1982年、テレビ放映されたアニメ『キャンディ・キャンディ』 (Candy) の人気を受けて出版社 Tele-Guide がいがらしゆみこ水木杏子による原作漫画を Candy Poche シリーズ全12巻として刊行した。これは、著作権料の支払いを回避しつつフランスのスタジオが独自の翻案を行なうのが一般的であった1980年代で、アニメの原作として唯一翻訳の対象となったものである。


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