フランシス・ベーコン_(哲学者)
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フランシス・ベーコン
Francis Bacon
フランシス・ベーコンの肖像画(1618年頃)
生誕 (1561-01-22) 1561年1月22日
イングランド王国ロンドン
死没 (1626-04-09) 1626年4月9日(65歳没)
イングランド王国・ロンドン
時代16世紀の哲学
17世紀の哲学
地域西洋哲学
学派ルネサンス哲学
イギリス経験論
研究分野自然哲学
形而上学
数学論理学
神学宗教哲学
主な概念「知識は力なり
影響を受けた人物

ソクラテス以前の哲学者デモクリトスエンペドクレスパルメニデス
プラトン
アリストテレス
マルクス・トゥッリウス・キケロ
ニッコロ・マキャヴェッリ
ミシェル・ド・モンテーニュ
ベルナール・パリッシー
ウィリアム・ギルバート (物理学者)
ロジャー・ベーコン
その他多数

影響を与えた人物

トマス・ホッブズ
アイザック・ニュートン
ジョン・ロック
ウィリアム・ペティ
ロバート・ボイル
百科全書派
トーマス・ジェファーソン
ヴォルテール
その他多数

署名
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初代セント・オールバン(ズ)子爵フランシス・ベーコン(: Francis Bacon, 1st Viscount St Alban(s), PC, QC、1561年1月22日 - 1626年4月9日[1])は、イギリス哲学者神学者法学者政治家貴族である。イングランド近世(ルネサンス期、テューダー朝エリザベス朝)からステュアート朝)の人物。イギリス経験主義の祖。

知識は力なり」(Ipsa scientia potestas est)の名言や、「イドラ」の概念で有名。
生涯
幼少期

1561年1月22日、サーニコラス・ベーコンとその妻アン(旧姓クック)の息子としてロンドンストランド・ヨーク・ハウス(英語版)に生まれる[1]。6人兄弟の末っ子で同母兄にアンソニー・ベーコンがいた。父はエリザベス朝最初の大法官庶民院議長国璽尚書であり、母は女王エリザベス1世の側近である初代バーリー男爵ウィリアム・セシルの妻ミルドレッド・クック(英語版)の妹だった[2][3][4]。また、バーリー男爵とミルドレッド夫妻の息子で後の初代ソールズベリー伯爵ロバート・セシルは母方の従弟に当たる[5]

敬虔なプロテスタントかつ才能にあふれる母の教育で熱心なプロテスタントとして育ち、父がハートフォードシャーセント・オールバンズで購入した土地で建てた屋敷・ゴランベリー・ハウス(英語版)で生活するうち、自然に囲まれた環境で自然世界への興味に目覚めていった[6][7]

1573年4月に父の計らいで兄アンソニーと共にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学[8]。ここで学寮長で後にカンタベリー大主教になるジョン・ホイットギフトに教わり、理性と知識を重んじ、確かな証拠に基づくこと無しに議論を行わない彼の姿勢に影響を受けた。またアリストテレスの哲学を嫌うようになり、理由は「議論や論争に優れているだけで、人間の生活に役立つような成果を生み出すことはほとんどない」というもので、退屈な大学の学問より自然科学への関心が高まっていった。ただし在学は1575年12月の2年だけで、学位は取得せず大学を去り卒業はしていない[9][10]

1576年6月に兄と共にロンドングレイ法曹院で法律を学び、9月に在籍のまま駐仏大使で元家庭教師でもあったエイミアス・ポーレット(英語版)に同行(見聞を広めてほしい父の意向があったといわれる)、フランスパリ留学を経てフランス各地を巡った。ユグノー戦争で荒廃したフランスや国王アンリ3世が奨励した自然科学に目を向け、国内情勢分析や科学から受けた刺激で大いに見識を広げた[11][12]。そして帰国後の1582年法廷弁護士の資格を取得した[1][13]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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